“その感慨は、必ずしも共感だけではなく、違和感であっても、否定感であってもよい、とにかく、人々が、無関心な、英語で言えば〈indifferent〉な状態から一歩抜け出して、色々な体験と思いを交わし合える一つの材料でありさえすれば、それで十分、という思いもあります” 『私のお気に入り ─観る・聴く・探す』 村上陽一郎 集英社

ストイックに一生を過ごしてきた人であっても,晩年になって,昔を振り返りつつ思い出を語りはじめる人は多い.その場合,次の世代へのメッセージを語るという意図もあるだろう.それまで私生活に触れなかった人が,今までとは一味違う書き物を残しはじめるのである.そしてそうした本には,なんというか一生かかって積み上げてきたものからしみでるしずくにようなものがを感じることがある.これもそうした本の一冊である.
まえがきより

本書の企画が始まったのは、「3・11」以前のことでしたので、いささか牽強付会めきますが、私がこの本で語りたかったことは、一つの時代を生きてきた一人の人間として、その時代を示す様々な側面と自分との繋がりであり、そこには、もしかしたらそれらを共有して下さる方々に、何がしか、感慨を呼び起こすきっかけを造ることができるのでは、という想いを持ったことが、書くことの根底にありました。その感慨は、必ずしも共感だけではなく、違和感であっても、否定感であってもよい、とにかく、人々が、無関心な、英語で言えば〈indifferent〉な状態から一歩抜け出して、色々な体験と思いを交わし合える一つの材料でありさえすれば、それで十分、という思いもあります。

第一章 「私」を生み育てた時代とは
P.17

そのころ彼は、本間俊平(一八七三〜一九四八 社会事業家、信仰伝道者)という人物に私淑していました。本間俊平は「秋吉台の聖者」と呼ばれた人物で、独自のキリスト者として、秋吉村に施設を造って、石灰石の切り出し作業を行い、出獄者や世間から見放されたような人々と共同生活をしながら、彼らの更生を目指す社会運動を行った人です。(略)
 ちなみに、森鴎外は、こうした本間の生き方に打たれ、『鎚一下(つちいっか)』という短い「小説」(と言えるかどうかわかりませんが)を書いています。

P.20

玉川上水は、今は辛うじて川を維持するだけの流量しかありませんが、当時は土手の際まで速い流れがあり、しかも両岸がオ1ヴァlハングになっていて、大人でも落ちるとなかなか上がれないままに流される。「人食い川」の異名がありました。

P.39

学校(と取りあえず言っておきますが)の近所に作家の丹羽文雄氏が住んでおられました。長女のKさんが級友に加わりました。彼女は後に料理に関する書物を出販し、さらには認知症を発症した父上の看護・介護を綜った書物などで、著名になりましたが、ある朝突然この世を去ってしまいました。

P.52

そんななかで、浪人生活を打ち上げ、何とか東京大学に入学はしたものの、入学時の健康診断でチェックがかかり、「命休」という処置を受けてしまいましたo 担任はドイツ文学者で「わだつみ会」の顧問をしておられた山下肇(一九二01二OO八)教授でした。六月ころに教授から書簡が届きました。そろそろ中間試験をするが貴君はまだ一度も出席していないようだ、という心配の手紙でした。大学当局から、「命休」処置者であるという情報が伝わっていなかったが故のことでしたが、有名な先生が、一人の学生にそんな心配をして下さっている、ということに感銘を覚えたのも確かです。

第二章 音楽に育てられた−チェロという楽器

全く不思議なことなのですが、十七世紀クレモナを中心に現れた何人かの職人たちが、現在の楽器の形状や構造、仕上げ方からニスの調沿まで一切を発案したと考えられています。技術は進歩する、という一般の常識を完全戸川蕊じて、ヴァイオリン属の楽器に関する限り、彼らの技術以上のものは現在に至るまで存在しないのです。今の楽器メーカーも、彼らが造った楽器に如何に近づけるか、ということしか念頭にないのが実情と聞いています。

P.72

ヴァイオリンで言えば最低弦、ヴィオラ、チエロでもG線で最も顕著に起こるのですが、「狼音」(ヴオルフ・トン=独、あるいはウルフ・トーン=英)という問題がありますo その弦のほぼ中間前後、E音からG音の聞のどこかの音を弾くと、まるで風邪を引いた時のガラガラ声、あるいは獣が叫ぶような音になることかあるからです。この現象は、同じ音を一弦高い弦で弾いても、遥かに軽いとはいえ、やはり起こることが多いのです。これは楽器の善し悪しとは全く関係がないことになっていて、アマーティやストラデイヴァリのような天下の名器といわれるものでも、免れないようです。

第三章 「かたち」を育てた伝統ー観る能,演ずる能
第四章 耳を育てた落語たちー一期一会の名人の口跡
第五章 眼を育てた映画たちーもう一つの現実世界
P.197

最後に、思わず沸泣(ていきゅうした映画があります。『真夏の夜のジャズ」(一九六0)、一九五八年のニューポト・ジャズ・フエステイヴアルの記録映画で、監督はパート・スターンです。これは観た劇場まではっきり覚えています。渋谷東急(東急文化会館五階)に、題名も確かめずに、ふと入ったとき、画面には黒人の歌手が歌っていました。ファンキーなピアノとベースの短調なリズムに乗って、どうやら〈On My Way〉という歌のようです。終わって、ピアノが別のコードのアルペジオを弾きだしました。ざわついていた会場(画面のなかの、です)が静かになります。歌いだした最初の歌調〈OUr Father in Heaven>を聴いて、おや、
と思いました。「主の祈り」ではありませんか。もうお判りでしょうが、歌手はマヘリア・ジャクソン、あの「魂を歌う歌手」、ゴスペルの女王と言われた人です。歌い終わったとき、私は滂沱(ぼうだ)として涙を流していました。忘れられない思い出です。

生涯に観た最高の映画として「第三の男」をあげている
第六章 思考を育てた言葉についてー「読む・書く・話す」
【関連読書日誌】
山下肇先生の思い出に

  • (URL)最後まで知性のクレイドルcradle(揺り籠)は疑いなんだ。疑いを全部切り捨てるような境地に行くのは、これはファナティシズム、狂信の境地でしょう” 『かくれ佛教』 鶴見俊輔  ダイヤモンド社
  • (URL)科学技術が社会に深く組み込まれるようになった現在,科学が不確実な知識しか生み出せず,しかも価値観が関与し,社会的意思決定が求められるような事例が増えている” 『みんなが選ぶ1冊』 「科学技術と社会の相互作用」 第2回シンポジウム配付資料 (1/4)

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】
これはいい本だと思います.

あらためて教養とは (新潮文庫)

あらためて教養とは (新潮文庫)

たくさんある科学史の著作の中から敢えて以下の2冊を