“この本は、書店にならべるために、つくられたものではない。  この本には、ひとりの人にむかって思いをよせるひとりの人の心がこもっている”  『私家版 アンデルセン・絵のない絵本』 絵と文字:佐々木マキ 原作: H.C.アンデルセン メディアリンクス・ジャパン

アンデルセン・絵のない絵本―私家版

アンデルセン・絵のない絵本―私家版

ちょっと変わった本である.アンデルセンの『絵のない絵本』に佐々木マキが絵を付けた本.
それを,末尾の奥付を付けて,私家版と称している.
それに鶴見俊輔が,あとがき(解説?)を付けて,書籍としたのがこの本.
演劇で言えば,劇中劇といったところか.
以下は,鶴見俊輔の文章.

アンデルセン『絵のない絵本』

 佐々木マキさんには、最初に漫画雑誌『ガロ』で出会った。本人とではない。

 私がはじめてこどもあての本『ひとがうまれる』(筑摩書房)を書いて、それに絵をつ
けてほしいと頼むと、こころよく応じてくれた。
 佐々木さんと一緒に仕事をするとき、前もって会って打ち合わせをしたことがない。私
の書いた文章をわたす。やがて、絵ができあがってから、はじめて会って、一緒に食事を
する。そういう流儀になっていて、その形からはずれたことがない。そのほうが、おたが
いの自由をせばめることなく、彼も私もそれぞれなりに、自分の考えをのばしてゆくこと
ができた。
 最初の本で、佐々木マキ描く獄中の金子文子の肖像を見たとき、私は、あっと思った。
実在の金子文子が自分の中に描いた不屈の自分は、こうであっただろうと思った。

 絵を描く人にとって、はじめに絵はあるだろうか。
 こういう絵を描こうとする心の動きがあるだろう。
 おなじように、絵物語をくりひろげるこどもの心の中に、その本は、そのこどもの生い
立ちとともに、育ってゆく。

 アンデルセンの童話を、佐々木さんは、愛した。そして自分の若い友達(現在の夫人)
に本をつくってわたした。
 アンデルセンも、画家としての才能を、物語をつむぐ力とあわせててもっていたとしたら、
おなじことをしたかっただろう。
 『絵のない絵本』は、それぞれのこどもの中にあらわれる絵と物語を、それがモノとし
ての形をとる前に表現したものである。絵の前にあらわれる絵であり、物語となる前の物
語である。

 今、地球上にいる何十億のこどもは、それぞれの心の中に、絵本が形をとる前の、もと
の形をもっている。
 ひとりの童話作家アンデルセン、ひとりの画家佐々木マキが、自分の作品を人びとに手
渡す前に、自分自身のくぐってきた物語と絵のはじまりの記憶に戻ってゆく、その手がか
りが、「絵のない絵本」であり、これは、アンデルセンにとってそうであったとともに、佐々
木マキの「絵のない絵本」である。

 この本は、書店にならべるために、つくられたものではない。
 この本には、ひとりの人にむかって思いをよせるひとりの人の心がこもっている。

 アンデルセンは、この本の誕生を祝福しただろう。
                                  鶴見俊輔


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