“信仰、もしくは出家が、この時代の女性の「自由」の限界点だった。紫式部は、そこで筆を置くのである” 『 やさしい古典案内 (角川選書) 』 佐々木和歌子 角川学芸出版 (2)

やさしい古典案内 (角川選書)

やさしい古典案内 (角川選書)

この思いは三十一文字じゃ収まらない − 散文への目覚め
 どうしても「かな」で書きたかった船旅の記 − 『土佐日記
P.45

川を下る間、貫之は都で生まれて土佐在任中に亡くなった幼い娘のことを語りだす。
あるものと忘れつつなほ亡き人をいづらととふぞかなしかりける
−−今いるもの、と、亡くなったことを忘れて、「どこにいるの?」とつい問うてしまう哀しさよ......。その後もあえて傷口に触れるように折々につけて亡き娘にふれるため、言いようのない喪失感が全編にただよう。

これが私たちの言葉、私たちの情熱 − 花開く女たちの文学
 「物語」のはるか先へ − 『源氏物語
P.67

近代文学に慣れた私たちの目には細やかな心理描写はさほど特異に映らないが、『源氏物語』のそれは当時の「物語」の枠組みをはるかに超えたものだった。紫式部の時代の「物語」は主に女性を中心に享受きれた娯楽であり、『竹取物詩』や『宇津保物語』にのような奇譚ものなど、筋を伝えることを中心としていた。時代を特定しない伝承的な話型であるのは『源氏物語』も同じだが、作者の批評の眼を伴って人間の深いところに潜り込んでいく小説的な展開は、それまでの物語を過去の遺物にしてしまった。紀元千年――世界文学を遠望しても、ダンテやシェィクスピアが現れるのはずつと後のこと。長く「仏の起こした奇跡」と信じられたのもうなずける。

P.82

 早くから道心を抱きながら執着にも似た恋に惑わされる薫に対し、人形としてさまよい続けた浮舟は、ついに自分の強い意志で、自分の足で立つことを決めた。死の淵を覗いたのちに、ようやく本当の人生を歩み始めたのである。金糸銀糸の衣を脱ぎ捨てても、見つめる生の先には信仰の光がまばゆいほどに輝きわたつていたのだろう。
 しかしこの長い物語の夢から覚めたとき、浮舟が自分の足で立つ場所が「来世への希求」という現実否定であつたことが思い返される。信仰、もしくは出家が、この時代の女性の「自由」の限界点だった。紫式部は、そこで筆を置くのである。

 「物語」のように生きたい − 『更級日記
P.103

 浮舟でありたい、またはもしかして物語作者でありたかった孝標女。平凡を厭い「何者かでありたい」という思いは、誰にでもある。しかし現実には何者にもなれずに過去の自分を慈しみのまなざしで見つめ、「若かった」と苦笑いをして多くの人は晚年を迎える。しかし孝標女は筆を執った。古びた歌の反古たちを取り出し、家集を飛び越えた「日記」を編み出した。それは贖罪の記であったかもしれない。それでも現代の私たちがこの日記を読んで思うことは、平安時代にもこれほどロマンティックな夢を見る少女がいたのだ、親に人生を振りまわされる女がいたのだ、夫と子供に夢を託すしかない主婦がいたのだ、という、彼女の実在感。話す言葉と習慣が違うだけで、平成の世にも孝標女はたくさんいる。

【関連読書日誌】

  • (URL)“単純ではない平易な文章が望まれるとすれば、その平易は、自分に即して生まれた必然性のある平易に限り有効である” 『「やさしい古典案内」のこと』 耳目抄310 竹西寛子 ユリイカ 2013年6月
  • (URL)古典文学の歴史をたたどることは、言葉と文字を連ねてきた日本人たちの物語。研究者ではない私は古典の腑分けはできないけれど、そっと横に添い寝して、古典の思いに耳を傾けるとはできるかもしれない” 『 やさしい古典案内 (角川選書) 』 佐々木和歌子 角川学芸出版 (1)

【読んだきっかけ】ユリイカ 2013年6月号
【一緒に手に取る本】

源氏物語 巻一 (講談社文庫)

源氏物語 巻一 (講談社文庫)

謹訳 源氏物語 一

謹訳 源氏物語 一

更級日記(上) (講談社学術文庫)

更級日記(上) (講談社学術文庫)