“どちらの正義が正しいか、ではない。だが、「正義」というプロパガンダの裏に隠れた、人々の声を聴くのは、とても難しい” 『わたしの「正義」とあなたの「正義」を入れ替える』 酒井啓子 みすず 2014年 12月号  みすず書房

みすず 2014年 12月号 [雑誌]

みすず 2014年 12月号 [雑誌]

中高生の間で、Sekai no owari が人気だと言う。何度もDownLoad されるという、少し変わった売れ方をしているらしい。この不思議な音楽グループのことは、ほぼ一年前のMBS・TBS系「情熱大陸」で知った。
 イラク政治史、現代中東政治が専門の酒井啓子氏による昨年12月のこの小文は、Sekai no owariDragon Night」の歌詞の引用で始まり、

 人はそれぞれ「正義」があって
 争い合うのは仕方ないのかもしれない
 だけど僕のきらいな「彼」も、彼なりの理由があると思うんだ

引用で終わる。

 人はそれぞれ「正義」があって
 争い合うのは仕方ないのかもしれない
 だけど僕の「正義」がきっと「彼」を傷つけていたんだね

なにが正しいかを見極めることの難しさ語る。そもそも、そんなことは可能なのか。

 「正しくないもの」に惑わされている人たちに対して、それは彼らにとっては「正しい」ことなのだから放っておけばいいではないか、と言うことは簡単だ。だが、それはその社会を自分から切り離したことろで生まれる感覚である。自分は「正しい」世界を知っていて眉を顰めるが、彼らは彼らの世界に生きているのだから、「正しく」なくても放っておけばよいー。それはある意味で、「彼らの」世界を一歩後退したものと見放すことでもある。

 自分たちの世界と相手の世界をひっくり返してみることで、相手は自分たちとさほど違ったものではない、とうことを理解することは、重要だ。だが、相手の世界があまりにも異質に見えると、実は自分たちの社会に似たようなものがあったとしても、まったく異なった出来事のように思えてしまう。同じことでも、私に起きたことは醜いことだけど、あなたに起きたことは当たり前のように思える。

タリバーンに襲撃されたパキスタンの17歳の少女マララ・ユスフザイがノーベル賞候補になったとき(その後受賞)パキスタンのジャーナリストが書いた記事が引用されている。その一部を引くと

 マララをノーベル賞に推薦した人々の手は、実のところ多くの無辜な少女の血で汚れているのであり、こうした人たちのせいで、彼女たちは家の外に出て口汚い言葉を投げかけられることを恐れて、学校に行けなくなったのだ。これらの無辜な少女たちは、歴史書からは忘れられる、ただの統計上の数字にすぎない。……アビールのように惨殺された子供たちの権利を支持し、彼女たちを忘れ去らないようにとノーベル賞を提案するような者はいない。誰も、戦車の下敷きになって死んだものの側に立つものはいない。……

酒井氏によるこの小文の最後の文章。

どちらの正義が正しいか、ではない。だが、「正義」というプロパガンダの裏に隠れた、人々の声を聴くのは、とても難しい。

【関連読書日誌】

  • (URL)“その社会に生きている者が、あまりにどっぷり埋没していて俯瞰することができない、そういうときに、その社会の外から現地社会を相対化した像を見て、漠然と感じていた諸問題が、くっきりと見えてくる” 『「宗派は放っておけ」と元大臣は言った』 酒井啓子 みすず 2012年9月号

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

アラブ500年史(上): オスマン帝国支配から「アラブ革命」まで

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アラブ500年史(下): オスマン帝国支配から「アラブ革命」まで

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<中東>の考え方 (講談社現代新書)

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中東政治学

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