“行政考古学と「遺跡保存」に目的と価値を与えるのは遺物や遺跡そのものではなく、文化論と歴史観以外の何物でもない。その欠落こそが行政考古学の困難の源泉である。その柱があれば、発掘も保存も意味を持ち、展示や教育も目的を持つことができる。そしてそれを創ることこそが大学の責務である” 『考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層』  竹岡俊樹 勉誠出版

考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層

考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層

P.51

安斎正人は、「報告書が出ていないにもかかわらず、資料を自由自在に使うことができるのは、『行政調査』のトップにいる役人の役得である。……その点を自覚してほしい。文化庁に入る前と後との岡村さんは、極端に言えば同一人とは思えないほどの変わりようである。私にはそのように映つている」(P. 7)と、評している。

P.58

 理論考古学(後述)、安易な集落論、日本列島内での連続的進化、生態適応に対する批判などから、私は、鎌田俊昭は日本の旧石器時代研究者の中では、学問的に一番「まっとう」だったと思う。
 なぜ、彼は「藤村前期旧石器」に走ったのだろうか。
 鎌田にとつてのルビコン川は、粗質の安山岩製の石器を人工品と認めたときにある。

P.98

 もう一つの問題である年代測定結果は次のように解釈した。藤村がどこかで拾った石器を寄せ集めて埋めたことは分かった。彼はどこかで本当に古い石器を採取した可能性がある。年代を測定した石器は他のへラ形石器とは異なる形態を持つ両面加工石器で、石材は富山遺跡の石器と似ている。この資料から、発掘でとらえることを失敗した富山遺跡の年代を推定できるのではないか。そこで、「日本にも『原人』いた!?大きく変わる列島の“人類史”特殊な石器群、三〇万年前の『握斧』という特集記事(読売新聞朝刊二〇〇〇年一月四日)を「藤村前期旧石器」に対するアンチテーゼとして載せてもらったが、反応はなかった。

P.146

 東北大学明治大学の対立が生まれたのは、杉原莊介と芹沢長介ではなく、戸沢充則と芹沢長介の間の憎悪関係による。検証委員に東北大学出身者を多く入れ、本の中でも佐川や辻を褒めるのは、戸沢なりの「民主的であること」のパフォーマンスであるが、それによつて東北大学明治大学の委員長のもとに検証を行ぅことになる。松藤和人は次のように述べている。

P.149

 もし、「苦悩の念をおさえながら自己検証」をしている「真摯」な研究者が一人でもいれば、旧石器時代研の現状はずつとましだつただろぅ。
 そして免責された彼らに代わつて責任を転嫁され、スヶープゴートになつたのが戸沢と小林の共通の憎悪の対象である文化庁主任文化財調査官の岡村道雄である。岡村を憎む小林の弟子の角張淳一が後日、岡村犯人説をぶち上げることになる(後述)。

P.172

 協会は、藤村の暴露写真が報道された時点から、これまで捏造遺跡を宣伝し、藤村の偉業を賛美し、捏造石器を使った「学術論文」を書いてきた関係学者が一体となって、藤村の捏造を検証し断罪する側の組織へと、アクロバット的な変身を遂げたのである(P.163)。

P.189

 『「オウム真理教事件」完全解読』一九九九•勉誠出版)の作成のために麻原彰晃を分析した私は、藤村の「病気」を疑つた(藤村に何回か会ったジャーナリストの上原善広も、同じ意見である)。戸沢委員長が黒塗りした藤村の手記には複数の藤村(分身)が出てくるが(注13参照.P.
173)、多重人格者は別の自分を論理的には語れない。藤村が語るストーリーはできすぎている。戸沢に、藤村が出てきて疑問に答えてもらわなければ事件は解決しない。もし藤村を表に出せないのなら、医者の診断書を提出する必要があるのではないかと二回求めたが、それはできないといぅ返事だった。
 自治体は藤村の「発見」にょって膨大な税金を使って発掘した。なぜ、藤村は罪に問われないのか。共に発掘したのが自治体の職員たちだつたからである。

P.190 

 三太郎山B遺跡は一九七三年に藤村が最初に見つけたという遺跡である。石器の実物を見たが{第15図の3)人エ品である。後期旧石器時代以前の遺跡が本当に存在する可能性が強い。そして、この難しい石器を採取できるのは彼が石器をよく見ることができることを示している。

ここでいう「人工品」とは、本当に人が作ったもの、つまり真性の石器であることを意味している
P.246

 上述のように、かつては行政職員の努力によって行政考古学と学問考古学とは「学問」という点で重なりあっていたが、次第に、緊急調査と学術調査とは乖離し、行政に採用された考古学専攻の職員も、学問をも行う「研究者」から記録保存を行う「技術者」へと変化した。それに従って、個人の努力に任される学問のレベルは低下せざるをえない。

P.254
 現在、経済の低迷と共に発掘数は激減し、埋蔵文化財センターはその三分のニにまで減少し、将来すべてが消滅する可能性がある。数十年間の膨大な未整理資料を残して発掘の時代は終わりつつある。今が、考古学が基礎資料を蓄積するための整理、あるいは再整理の最後の機会である。ニ兆円と、職員たちの努力をどぶに捨てるか、生かすかの瀬戸際にあると言ってょいだろぅ。文化庁は今、役に立たない「研究」にではなく、整理にこそ補助金を出すべきである。破たんしつつある今日の埋蔵文化財行政には文化庁にも大きな責任がある。
三つ目は文化論と歴史観である。
 (中略)
 行政考古学と「遺跡保存」に目的と価値を与えるのは遺物や遺跡そのものではなく、文化論と歴史観以外の何物でもない。その欠落こそが行政考古学の困難の源泉である。その柱があれば、発掘も保存も意味を持ち、展示や教育も目的を持つことができる。そしてそれを創ることこそが大学の責務である。しかし、私は考古学から生まれた文化論や歴史観も、その方向性をもつ研究も見たことがない。
【関連読書日誌】

  • (URL)毎日新聞旧石器遺跡取材班 (新潮文庫
  • (URL)“気鋭の考古学者が挑んだ「日本人のルーツ」は、やがて 「神の手」の異名を持つ藤村新一へ 石に魅せられた者たちの天国と地獄。” 『 石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち』 上原善広 新潮社

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

石器・天皇・サブカルチャー―考古学が解く日本人の現実

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石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち

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