“私見だが、部落差別というのは近代になって生じた問題であり、「解放令」の発布によって生まれたものと考えられる。それ以前は厳然として身分制度があったわけだから、差別はあっても、それを問題にすることなどできようはずもなかった” 『どん底 部落差別自作自演事件』 (小学館文庫) 高山文彦 小学館

2003年、被差別部落出身の町役場職員に対して、たくさんの差別葉書が送りつけられはじめた。6年の歳月を経て、自作自演であったことが明らかになる。事件の顛末そのものには、それほど食指が動かなかったが、『火花 北条民雄の生涯』を書いた高山文彦氏の手になるものであったので、読んだ次第。解説で桐生夏生氏が述べているように、『「部落解放の父」と呼ばれる松本治一郎の評伝『水平記』という大著を著し、本書にも登場する組坂繁之とも交友のある郄山文彦の情熱こそが、本書のもうひとつの読みどころと言えるかもしれない。』
P.40

三つの過去の事件を思ぅたびに、私にはある疑念が深まるばかりなのだ。自作自演の核心には、父親への復讐といぅ心理が隠れているのではないかと――。

P.87

在日朝鮮人の人材育成コンサルタント辛淑玉は、部落出身の元衆議院議員野中広務との対談(『差別と日本人』)のなかで、「差別とは、富や資源の配分において格差をもうけることがその本質で、その格差を合理化する(自分がおいしい思いをする)ための理由は、実はなんでもいいのだ」と、わかりやすく差別の構造について述べている。

P.133

「同和未指定地区も、たくさんある。わしが筑後地協の青年部長だったころ、ずいぶんそうした地区をまわって、同和地区指定をうけるように説得したもんじやが、どこも『寝た子を起こすな』で、このままそっとしといてくれと言う地区が、かなりいまも残っちよる。そういうところの人たちのな力には自分の出身を知らずに育った者もおるけんが、部落差別をする場合が出てくるんじやよ。これはつらい。悲劇じや」

P.151

「だから幸喜、糾弾とはな、個人攻撃をすることではない。個人を差別に走らせるものがなんなのか、つねに視野にとらえておかんといかんのさ」

P.155

明治四年に太政官布告(解放令)――穢多非人などの賤称を廃止して身分•職業ともに平民と同じにすることがしめされたーが発されたとき、各地でこれに反対する一揆が起こっている。このことを考えると、いかにわれわれの祖先である日本の「平民」というものが被差別部落とそこに生きる人びとを忌み嫌い排斥しようとしていたかが知れて、肌の粟立つ思いがする。
 解放令発布の年から明治一〇年までのあいだに、そうした一揆はニー件起きている。一揆とはいえ政府の施設を襲うのではなく、新しく「平民」に組みいれられた部落と部落民を襲うのだ。

P.159

 私見だが、部落差別というのは近代になって生じた問題であり、「解放令」の発布によって生まれたものと考えられる。それ以前は厳然として身分制度があったわけだから、差別はあっても、それを問題にすることなどできようはずもなかった。同じ身分になったがために差別意識が露骨にあらわれ、賤民身分であった者が暴れまわるものだから、よけいに胡散臭がられ忌み嫌われるようになった。同じ身分の者が同じ身分の者を差別するという奇妙なよじれに遭遇した部落民は、町の「平民」から拒否されると「同じ平民じやないか。どうして拒否するのだ」と怒りをつのらせて、さらに暴れる。これが部落差別が「問題」化した最初の姿であろう。

P.162

 日本国憲法第二四条の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」といぅ文章のなかの「両性の合意のみ」と強調している筒所は、連合国総司令部(GHQ)への治一郎の熱心なはたらきかけがあって生まれたものと伝えられる。

P.168

 私見を言うと、ときに報復的で、吊るしあげともとれるような糾弾があちこちでおこなわれ、そのために「部落は恐ろしいところ」といった印象を一般世間にあたえたのは事実であろう。でも差別された側が自殺にまで追いつめられるという悲惨を想像すらできない「虚ろな人びと」にたいして、ときに声を荒らげ、椅子を蹴りあげるのは当然の行為ではあるまいか。暴力の否定は理想だが、悔しさや悲しみや怒りを理路整然と伝えたところで「虚ろな人びと」の心にはただ風のように通り過ぎていくだけだ。どれだけ苦しんでいるか、どれだけ悲しんでいるか、差別をうけた者が毒を飲んで死んでいこうとしているかもしれないのに、黙り込んで逃げを打とうとする「虚ろな人びと」に大声を投げつけてなにがわるい。

P>462 文庫版あとがき

筆者が描いたのは、ひとりの善良な人間が、あることをきっかけに怪物化していく
過程とその顚末である。でも、もぅひとり筆者は主人公を立てている。この作品は、ひとりの被差別部落の若者が大人へと成長していく物語でもある。彼は山岡一郎を信じ、そして裏切られる。でも、その言動には希望が感じられるのだ。

桐生夏生氏による解説

しかしながら、「部落解放の父」と呼ばれる松本治一郎の評伝『水平記』という大著を著し、本書にも登場する組坂繁之とも交友のある郄山文彦の情熱こそが、本書のもうひとつの読みどころと言えるかもしれない。
(平成二十七年五月作家)

【関連読書日誌】

  • (URL)“癩病患者の収容の歴史をふり返ってみるとき、瞭然と浮かび上がってくるのは、...諸外国への体面から癩者をまるで虫げらのように踏みにじってきた、ファシズムとしての医療のあからさまな姿である” 『火花―北条民雄の生涯』 高山文彦 七つ森書館
  • (URL)“日本の国民にはわからないけれど、北朝鮮、韓国、中園、ロシアとは本当に仲良くしておかなければ、将来日本の国は危ない” 『聞き書 野中広務回顧録』 御厨貴, 牧原出 岩波書店

【読んだきっかけ】書店にて
【一緒に手に取る本】

火花―北条民雄の生涯 (角川文庫)

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宿命の子

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