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“私たちが今享受しているこの「マルクスの本を読み、マルクスについて論じることができる環境」というのは世界史的には例外的に恵まれた知的環境である” 『マルクスを読む』 内田樹 パブリッシャーズ・レビュー 2015年7月15日号

パブリッシャーズ・レビューは、東京大学出版会白水社みすず書房が発行しているPR誌(8ページのタブロイド新聞)である。各社か交代で紙面を組む。
 元少年Aによる『絶歌(ぜっか)』が話題になっているが、人々が良識と節度をもって行動すれば、言論・思想の自由は守られ得るのか? それは幻想に過ぎないのか。マルクス主義を語ること、論じることができる日本という環境は、東アジアの中で特異な場所であることがわかる。
wikipedia によれば、

ドイツでは民衆扇動罪によりナチス党およびヒトラー賛美につながる出版物の刊行が規制・処罰の対象となっているため、著作権を保有するバイエルン州政府は、ドイツ国内における本書の複写および印刷を認めないことでドイツ連邦政府と合意している。そのため、現在ドイツ国内で流通している『我が闘争』は古書と他国版のみである。

Wikipedia contributors, "我が闘争," Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%88%91%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89&oldid=54875932 (accessed July 20, 2015). )

このタブロイド誌における内田樹氏による文章。

私たちが今享受しているこの「マルクスの本を読み、マルクスについて論じることができる環境」というのは世界史的には例外的に恵まれた知的環境である。同じ条件を望んで、得られない数十億の人々がいまも地球上にいる。その事実を嚙みしめれば、「マルクスを読むのも読まないのも、俺の勝手だ」というような眠たい言葉は軽々に口にできないと私は思う。別に読まないのは構わない。「マルクスなんか知らないよ」と言うのももちろん結構である。でも、マルクスを読み、論じることが許されている世界でも例外的な自由を自分たちは享受しているということを知った上でそういう言葉は吐いて欲しい。

歴史的事実として、

 隣国の韓国には一九八〇年まで「反共法」といぅ法律があり、マルクス主義書物は閲読することも所有することも禁じられれていた。私の韓国人の年長の友人のひとりは大学院生だったとき、学問的関心に駆られて『資本論』のコピーを手に入れたのを咎められて懲役一五年の刑を受けた。
 カンボジアでは、かつてマルクス主義者を名乗ったクメール・ルージユが三〇〇万人の同胞を殺した。インドネシアでは、一九六〇年代に愛国者を名乗る人々がインドネシア共産党の支持者一〇〇万人を虐殺した。この両国では今でも自分は「マルクス主義者である」と公然と名乗るためには例外的な勇気を必要とする。
 中国共産党はその出自においてはマルクス=レーニン主義を掲げていたが、毛沢東主義訒小平先富論によって大きな解釈変更を受けた。今の中国を「マルクス主義国家」だと信じている人は(中国共産党員を含めて)どこにもいないだろう。事情はマルクス=レーニン主義を「創造的に適用」して「主体思想」を作り上けた北朝鮮についても変わらない。この両国ではマルクスについて語ることもマルクス主義者を名乗ることも、現在の支配体制に対する反抗と見なされるリスクを冒すことになる。
 一瞥しただけでも、東アジア一帯で人々が身の危険を感じることなしに、自由にマルクスを読み、論じることが許される国の数は「きわめて少ない」と「ほとんど存在しない」の中間あたりにあることがわかる。現に、私たちの国も七〇年前まではそうであった。

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