“文学の責務は良心と道義的な覚醒に向けて、不正に対する憤りと被害者に寄せる共感に裏打ちされた敏感さの拡張に向けて、目覚ましのベルを鳴らす工夫をすることです” 『この時代に想うテロへの眼差し』 スーザンソンタグ, Susan Sontag, 木幡和枝訳 NTT出版

この時代に想うテロへの眼差し

この時代に想うテロへの眼差し

9.11のあと,大統領以下国民全体が熱に浮かされている中,冷静な発言を呈しただけで批判されかねない国,アメリカ.東日本大震災でもアメリカの報道について同様の指摘があった(『世界で損ばかりしている日本人  (ディスカヴァー携書) 』 関本のりえ ディスカヴァー・トゥエンティワン
ソンダクは思索の人だ.だがそれだけではない.ただ意見を述べるだけの人を鋭く批判する.真実に近づき,そのためには行動しなければならないと.

P.8

これらの「混濁した」あるいは「時宜に応じた」著述が、それでも、二つの異なる命題を遵守するという、私の作家としての良心にかなうものとなっていることを願う。二つの命題とは、私たちに共通している社会的な生活と関心事の重大なテーマのいくつかに、真摯に、思慮深く、関与すること。そして、そのような関与への誘いに対する、適切な、それも作家としてのわだかまりを伝えることだ。

After September 11
二日後 於ベルリン
一週間後 於パリ
数週間後 於ニューヨーク
P.39

アメリカは奇妙な国です。市民は無政府主義的な傾向を強くもっており、それでいながら迷信的と言えるほどに法の遵守を尊重している。常軌を逸した成功に憧れ、それでいながら勧善懲悪が大好き。政府にも税制にも大きな不信を抱き、ほぼ不当な活動の温床だとみなしながら、いざ危機到来となると、もつとも実感のある反応は国旗を振って無条件の愛国心を確認し、指導者に承認を与えることだ、となる。

P.41

検閲の中でももっとも重大にして効果のある自己検閲がそこごこで行なわれています。討論を展開すれば意見の相違と同一視され、さらに意見の相違は忠誠心がないものと決めつけられます。この新たな、先の見えない緊急事態では、従来のさまざまな自由の保障は「贅沢」かもしれない、という思いが広がっています。

P.8

これらの「混濁した」あるいは「時宜に応じた」著述が、それでも、二つの異なる命題を遵守するという、私の作家としての良心にかなうものとなっていることを願う。二つの命題とは、私たちに共通している社会的な生活と関心事の重大なテーマのいくつかに、真摯に、思慮深く、関与すること。そして、そのような関与への誘いに対する、適切な、それも作家としてのわだかまりを伝えることだ。

After September 11
二日後 於ベルリン
一週間後 於パリ
数週間後 於ニューヨーク
P.39

アメリカは奇妙な国です。市民は無政府主義的な傾向を強くもっており、それでいながら迷信的と言えるほどに法の遵守を尊重している。常軌を逸した成功に憧れ、それでいながら勧善懲悪が大好き。政府にも税制にも大きな不信を抱き、ほぼ不当な活動の温床だとみなしながら、いざ危機到来となると、もっとも実感のある反応は国旗を振って無条件の愛国心を確認し、指導者に承認を与えることだ、となる国旗を振って無条件の愛国心を確認し、指導者に承認を与えることだ、となる。

P.41

検閲の中でももっとも重大にして効果のある自己検閲がそこごこで行なわれています。討論を展開すれば意見の相違と同一視され、さらに意見の相違は忠誠心がないものと決めつけられます。この新たな、先の見えない緊急事態では、従来のさまざまな自由の保障は「贅沢」かもしれない、という思いが広がっています。

P.43

九月十一日以降、政府と軍事筋の最高レヴェルではきわめて精力的に議論が行なわれたはずで、その結果でしょうか、いまはブッシュ政権からもカウボーイまがいの話はほとんど聞こえてきません。

サラエヴォゴドーを待ちながら
P.56

他でもそうだがサラエヴォでも、現実に対して自分が抱いている感覚が芸術によって肯定され、変容されることで、勇気を得たり慰められたりする人は少なくない。

P.61

他のヨーロッパ人たちは、そういう自分たちをこんな目にあわせてなぜ平気でいられるのか、とも。かつてもいまもでも弱ハま

P.71

封鎖以前のサラエヴォ中流階級の人々にとっては、市内のモスクに行くよりはウィーンヘオペラ見物に行くほうが自然なことだった、と私が言うと、欧米の相当の情報通でも心底驚いたようだ。現代の非宗教的なヨーロッパ人の生活ぶりのほうが、テヘラン、バグダツド、ダマスカスの信心深い人々の生活ぶりよりも本質的に価値がある、と言いたくてこんなことを述べたわけではない。あらゆる人間生活には絶対的な価値がある。ただ、サラエヴォが破壊の標的となっているのは、まさにその都市が非宗教的で反部族社会的な理念を代表するものだからに他ならない。この点をもっと理解してほしいと願うからこそ、このようなことを言うわけだ。

P.100

記録にとどめることができないのは、不在だ―この苦しみを終わらせようといういっさいの意志の不在だ。もつと正確には、ボスニアには介入しないという決定はおもにヨーロッパが下したものだが、そのもとには、オルセー河岸(フランス外務省)とイギリス外務省の従来からの偏向した親セルビア姿勢がある。その偏向の表われが、おおむねフランス軍が展開している国連サラエヴォ占領作戦だ。
 テレビを批判する人々がよく言う標準的な主張は、小さな画面で見る恐ろしい出来事は、現実感を促すと同時に、見ている人をますますその事態から遠ざけていく、というものだが、私はそれを信じない。戦争を終わらせる行動がないのに、戦争について絶え間ない知らせが流れてくる。これこそが私たちをたんなる観客の立場に追いやるのだ。テレビではなく、政治家たちこそ、歴史を番組の再放送であるかのように見せている張本人なのだ。同じ出しものを見ていれば飽きもする。テレビで見る戦争に非現実感がただようとすれば、そのあまりの恐ろしさにもかかわらず、それが明らかに停止させるすべさえない事態だからだ。

未来に向けて―往復書簡
大江健三郎からスーザン・ソンダクへ)
(スーザン・ソンダクから大江健三郎へ)
P.117

ヴォルテール、ゾラ、ソルジェニーツィンと、不正の犠牲者を擁護すべく権力に向かって真実を語ったことで、永遠の栄光に値する作家は少なくありません。でも、優れた作家は必ず正しい大義を主張するなどとは、誰もまともに信じていません。残念ながら、ほとんどの人々と同様、ほとんどの作家も体制順応派です。国家が何を代表しているかにかかわらず国家権力を支持するのです。悪しき主張に奉仕するイデオローグや擁護者になった作家、しかも天分に恵まれた作家の例はたくさんあります。コソヴォに住む非セルビア系の人々百万人以上を残虐な目にあわせ、彼らの土地から追放して、行き着くところまでいってしまった「民族浄化」政策の、もっとも雄弁な支持者はセルビアの高名な作家たちでした。

P.118

私がずいぶん前に自分に課したことがあります。自分がそれまで知らなかったり、この目で見たことがなかったりする事柄については、けっしてどんな立場もとってはならないと。

P.119

善意があっても思慮深くとも、直接の体験の具体性にとって代わることはけっしてできません。

身をもって目撃すること、参加すること。この問題を出したわけを言いましょう。旧ユーゴスラヴィアにもアルバニアにも行ったことがなく、その地の人々の歴史や地理もまったく見当もつかない人々が、バルカン半島において十年も続いた恐ろしい事態をめぐり立場をとる。その多くがあまりにも私の予想どおりの立場だったことに自分でもショックを受けたのです。どんな戦争地帯に一度も近づいたことがなく、戦闘に与したり、爆撃のもとで生活したりするとはどんなことかこれっぽっちの考えもない。それがみえみえのアメリカやヨーロッパの知識人たちが尊大にもあの戦争について語るのを目にして、怒りを禁じえません。

大江健三郎からスーザン・ソンダクへ)

私は知的な障害を持つ息子との共生を描いた短編小説の連作に、それを外に向けて開くことを意図して、『新しい人よ眼ざめよ』と名付けました。すぐに読みとってくださるにちがいないように、それは『ミルトン』序からの引用です。

(スーザン・ソンダクから大江健三郎へ)
P.142

ドイツの緑の党のリーダーの一人で、現在は同国の外相であるヨシュカ・フィッシャーは、ミロシェヴィッチに対するNATOの軍事行動に、ドイツが限定つきの参加をすることを擁護しました。ヨーロッパ諸国のなかでも、NATOの行動への反対意見はドイツ国内において一番強かったのですが。私は彼のとった立場に感銘を受けました。

P.146

私は多くのエッセイ――『反解釈』に始まり『隠喩としての病い』や『エイズとその隠喩』にいたるまで――で、現実を隠喩として語るほとんどの実例に対して、もっと懐疑的になるべきだと訴えてきました。ファシズムは現在、隠喩になったと思います。私はこの言葉を隠喩として、あるいは厳密さを欠いたかたちでは使いたくありません。

P.147

文学の責務は良心と道義的な覚醒に向けて、不正に対する憤りと被害者に寄せる共感に裏打ちされた敏感さの拡張に向けて、目覚ましのベルを鳴らす工夫をすることです。そういう文学の責務を、私たちは二人とも引き受けています。

P.154

その講演であなたは、こう疑問を打ち明けたと引用されています。小説家は「知っていること」を書くのか、言葉と想像的なもの(イマジネール)の不思議な力によって「知らないこと」を書くものなのか?告白すれば、私には二つの区別が理解できません。書くことは、何かを知ることであり、またその何かを可知のものにすることです。文学は知識です―たとえ、もっとも偉大な文学でさえ不完全な知識にすぎないとしても。すべての知識がそうであるように……。

戦争と写真 ―アムネスティ講演―
P.158

苦しみの図像には長い系譜がある。表現するに値すると判断された苦しみというものはおおむね、神なり人なりの憤怒の結果とされる受難だ(病気や出産などの自然原因による苦しみは、美術史上では稀にしか見られない)。

P.159

写真は出来事の存在証明となる。出来事に重要性を与え、記憶に留める。物語をとおして何事かを理解することはできるが、記憶は写真をとおして留められる。こう書いているのはデイヴィッド・リーフで、一九九二年から九六年にかけてボスニァで続いたセルビア勢による暴虐と破壊を撮った、ロン・ハヴィヴ[アメリカのフォト・ジャーナリスト。バルカンを十年間にわたり取材した写真集で知られる]の写真についての言葉である。

P.161

前線における戦争「取材」が定石として行なわれるようになったのはスペイン内戦で、画像をただちに公表する意図で写真機をもち、広い範囲の取材撮影が行なわれたのは、この戦争が最初である。

その後、ヴェトナム戦争[一九五四―七五]や一九九〇年代のバルカン戦争をはじめとするあらゆる戦争に関わったフォト・ジャーナリストたちの仕事の基準となったのが、スペイン内戦の写真である。

P.169

リトワックの見解は、これらの写真を検証する義務がある、というものだ。哀悼ではなく(してもしきれない)、理解する義務がある、と。

P.170

日常の言語でも、ゴヤの作品のような手仕事の画像と、写真との区別ははっきりつけられている。画家はドローイングや絵を「make(作る)」といい、写真家は写真を「take(撮る)」という慣用表現を使い分けるように。この区別も、ある線までしか意味をもたない。たしかに、手仕事の画像は見るからに構成されたもの―つまり、画家の心と手をフィルターとした報告―である。

P.183

生活や社会が「近代的」だとされるのは、何をもってだろう。まず第一に言えるのは、「情報」による飽和状態である。現代生活の中心的領域は情報だ。そして、近代性(モダーニティ)の批判は本質的に、ますます加速する情報の生産(つまり過剰生産)の結果、容赦なく人間性が剥奪され、疎外がつのる、と説く。

P.184

近代的生活は恐怖の供給で成り立っていて、人はその餌に徐々に馴らされてゆくという議論は、百五十年をゆうに超える近代批判に負けないくらい古くから続いている(ほぼ写真機と同じ歴史だ)。

P.187

きわめて有力な近代の分析にしたがえば、この社会は「見せ物(スペクタル)社会」だと言われる。ものごとは見せ物化して初めて現実となる―つまり、私たちの関心を惹く。人そのものが映像化する―有名人のことだ。あるのは媒体だけ。そして表象。現実はすたれた。

P.189

ビアフラ飢謹を受けて創設された「国境なき医師団」の発足以来、人道的機関(NGO)が増加したが、それはエリート層の世論と一般公衆の世論の転換とぴったり歩調を合わせていた。この転換は、痛みなくしては見られない写真をおもな道旦ハとする人心掌握の動きの成果だ。

P.194

私たちが他者と共有している世界にどれほどの苦しみがあるのか、それを感じる心を認知し、拡張することは、それじたい良いことだ、と。さらに、言っておきたい。堕落が居座っているとひたすら驚くだけで、手をこまねいている人。人間というものが、自分以外の人間たちに対して、どれほど陰惨で直接的な残酷な行為をしでかしてしまうものか、その証左を突きつけられても、幻滅するばかり(疑心暗鬼に陥ることさえある)で、その先のない人。こういう人たちは、道義的または心理的に大人になっていない。
ある年齢を過ぎたら、この種の無邪気さ、浅薄さ、ここまでの無知、好都合なだけの健忘症をかこって許される人は、誰もいない。

エルサレム賞スピーチ
P.200

賞賛すべき人士を選んできた経緯から、賞というものは、名誉を、また名誉を授ける器量を積み重ねてゆく。
この基準に照らして、「エルサレム賞」という論争を呼んでいる名称をもつ賞について考えてみよう。比較的歴史は浅いが、この賞は二〇世紀後半の最良の作家の何人かに授けられてきた。どんな明白な基準からしても、文学賞の名にふさわしいこの賞は、しかし、「エルサレム文学賞」ではなく、「社会における個人の自由のためのエルサレム営益と呼ばれている。

P.206

私たちは、現実の部族(トライブ)、ないしは新興の部族が唱える、ますます断片化する権利主張に溺れそうになってもいる。古い人間主義の理想―文芸共和国、世界文学といった理想―は、各地で攻撃されている。

P.208

だが、公共の討論や行動への参加は、良心や関心の命ずるところに突き動かされ、みずからの意志で行なうことであり、それは、要請されたからといって、意見を捏造すること―道学者気取りの、メディア向けの識者のコメントのたぐい―とは、一線を画する。

けだし、作家はこういう意見表明機(オピニオン・マシーン)になってはならない。

P.209

 作家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ること……、そして嘘や誤った情報の共犯者になるのを拒絶することだ。

さまざまな現実を描写すること、それも作家の仕事だ。汚れた現実、歓喜の現実。

P.211

かつてロラン・バルトが看取したように、「…:話す人は書く人ではなく、書く人は存在する人ではない」。

P.214

文学の叡智は、意見をもつこととは正反対の位置にある。「何に関しても、最終的な言葉など、私にはない」とヘンリー・ジェイムズは言っている。要請されれば必ず意見を披澄する。そんなことを続けていると、たとえその意見が正しくとも、小説家や詩人がもっとも得意とすること、すなわち省察力の深化と複合性の探究を軽薄なものにしてしまう。
情報はけっして啓発を凌駕しない。だが、情報にまさりはするが情報に似て非なるもの、つまり、情報をもっている状態、つまり、具体的な、特定の、詳細な、歴史的に濃密な、直接体験によって得た知識は、作家が公に意見を述べるからには不可欠な前提だ。

P.215

意見にまつわるもう一つの問題。意見には自己固定化の作用がある点だ。作家がすべきことは、人を自由に放つこと、揺さぶることだ。共感と新しい関心事へと向かって道を開くことだ。

ニューマン枢機卿がいみじくも語っている。「高いところの世界ではそうではないが、この下界では、生きることは変化することであり、ここで言う完壁とは、相次ぐ変化の経過である」。

訳者後記
P.218

 「混濁した声」と、本書の著述をソンダク自身は性格づけている。これという現実に向かって、ときには立場や矜恃、理性を鞄に詰めて背負い、体を、または魂を、知性を運んで、ともかくそこへ馳せ参じる。
(中略)
第二部収録の「エルサレム賞スピーチ」でソンタグは、作家としての資質をはぐくむ「修行」について語り、また作家は「黙考する者」であると言っている。それを軸としながらなお、現実へ馳せ参じるダイナミズムが、彼女の特性であり、魅力だ。

P.220

ソンタグのテクストを私が訳したものが一冊の書物として刊行されるのは、今回が初めてだ。そこで簡単に私の立場を記しておきたい。「混濁した声」の一方である「語る声」での付き合いが二十年以上続いている。友人として、通訳として、また共同作業者として(E・A・ボーをテーマにした舞踊作品の台本を依頼)。だが最近だけでも、湾岸戦争時、セルビア空爆時、そして今回の世界貿易センタービル攻撃に際しても、通信を交わしたり、たまたま同じ都市に滞在していたりで、ソンタグの講演やテクストを私が訳すという巡り合わせになった。そのたびに強烈な触発を受ける。ここは正直に言おう。ソンタグの発言が正しいか否か―もつと卑劣な次元で言えば、受け売りするのに役立つものか否か―という次元ではなく、その徹底した思考にである。真摯な一個人として屹立し、なお、そういう存在に不可避的なものとしての、他者への共感や「もうひとつの現実」への洞察。そのうえで、絶え間なく、みずからの思考を点検し修正する姿勢。「同意見」であることよりも、「同姿勢」でありたいと思わせるのはそこだ。

【関連読書日誌】
“悲しみの谷では、翼を広げよう” 『死の海を泳いで―スーザン・ソンタグ最期の日々』 デイヴィッドリーフ, David Rieff, 上岡伸雄訳 岩波書店
【読んだきっかけ】
編集者の友人より戴く.『死の海を泳いで―スーザン・ソンタグ最期の日々』を期に読む,遅ればせながら.
【一緒に手に取る本】

良心の領界

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私は生まれなおしている---日記とノート 1947-1963

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死の海を泳いで―スーザン・ソンタグ最期の日々

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