“芸人というものは......、人知れず消えていくものです。芸人というものはそういうものです。皆が皆、生きてるうちに咲くわけではありませんから、散り方を会得するんでしよう。粋というもんより、むしろ気障を連中は好むんです” 『いねむり先生』 伊集院静 集英社
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原作に忠実に映像化されている部分と,伊集院の他のエッセーで語られたエピソードに基づいて加えている部分とがある.例えば,夏目雅子とのパリでの出逢い,鎌倉のお寿司屋さん,病室でのことなどなど.
ドラマで出てきた,競輪場近くの定食屋の娘さんに「東京から帰るときの電車賃に」といってお釣りを渡すシーン(「東京へ」ではなく「東京から」というところがみそ),いねむり先生(西田敏行)がサブロー君(藤原竜也)に言うせりふ「人生9勝6敗(8勝7敗?)でいいのです.あなたはまだ若い,たった1敗しただけじゃないですか」「どうして悲しい思い出を引きずっているんですか,その前に一緒に生活した幸せな7年間があったんでしょう.どうしてそれを思いだしてあげないんですか」などは,この原作にはなかった.
P.60
「芸人というものは......、人知れず消えていくものです」
その言葉に皆が先生を見た。
「芸人というものはそういうものです。皆が皆、生きてるうちに咲くわけではありませんから、散り方を会得するんでしよう。粋というもんより、むしろ気障を連中は好むんです。芸人の性というのは、あれで恰好はいいんですね」
その言葉を聞いてKさんが言った。
「そうだとしたら何か切ない気もしますね……」
「まあ本流に乗れない者というのは、そういう流れ方をするしかないでしようね……」
先生はそう言って目を盃の中の酒に落した。
P.133
「うん、友人にトノヤマさんという俳優さんがいてね」
「トノヤマさん?」
「うん、トノヤマ夕イジって知らないかな。ジャズのともだちでね」
「“裸の島”に出演してた人ですかね」
「そうそう、いい作品を観てるんだね」
「あと漂流した船の船長役もしてた……」
「それは“人間”,だよ。“人間”も“裸の島”も新藤兼人が監督した作品だ。サブロー君、映画が好きなんだ?」
「いや、そんなに好きというほどでは……」
「けどトノヤマさんの主演作品を二本も観てる人はなかなかいないよ」
P.262
『文学がわかっとらんですのう、こいつらは』
男の言葉がよみがえった。
ボクはあの手の輩が一番嫌いだった。
あちこちの町に、ああいう人間がいるのだろう。贋文学を得意そうに語り、自分が何かエラくなつたょうな態度をとる。
東京の酒場でも何人かのそういう輩を見たことがあった。もしかしてその中に作家もいたのかもしれない。見ていて嫌悪だけが残った。
伊集院静が愛されるのはこういうところだろう.この文章で,忌野清志郎の双六問屋を思いだした.
『瀕死の双六問屋 (小学館文庫) 』(忌野清志郎,小学館)より
双六問屋に行ったことがあるかい?そこはみごとな世界だった.双六問屋の世界では履歴書などいらない.学歴や職歴を誰に告げる必要もないのだ.タレントが画廊で個展をひらいたりしないし,歌の下手な者がCDを出したりもしない.退屈な夜をうすっぺらい笑いや,ブスい女の裸でうめようともしない.そんな必要はないからだ.みんなが自分の本当の仕事を持っているのだ.だから当然流行に流されて右往左往している者もいない.若者は目上の人々に敬意をいだき,年長者は何が本当に大切なものかよくわかっている.双六問屋は理想郷であった.
P.268
その夜の話題は、昔の俠客の話だった。
「関東じや、どこが昔から手強いんですかね」
Kさんが訊いた。
「北の方だね」
先生がさりげなく応えた。
「北というと栃木あたりですか」
「群馬もそうだね。上州だ」
「国定忠治ですねj
「うーん、上州には大久保という名門があってね、そこから大前田英五郎も出てる。国定忠治も英五郎のことを叔父御と呼んだというよ。連中が出てきたのは江戸の幕末頃だ。東京というか江戸では新門辰五郎が知られているけど、看板としては武蔵屋、落合、上方、小金井、会津小鉄……かな。西が清水は次郎長、山崎屋、渡辺、大場、谷部……」
先生のロから俠客の看板の名前がすらすらと出てくる。
――凄い記憶力だ……。
「大前田英五郎が北関東を仕切つていたということですか」
「いや、もっと広かったらしい。英五郎は関東から関西にかけて二百数十の縄張(しま)を持ってて、それらの賭場から上がるテラ銭がニ千両を超えたという。あの次郎長でさえ親分は誰と訊かれると英五郎と答えたほどの貫禄らしい」
解説は,村松友視.かれの出世作『時代屋の女房』のヒロインを演じたのが夏目雅子であった.
読み終えた私は、大きく息を吐き出していた。
それは、かくも厄介でありながら、書くべき宿命にあるこのテーマに取り組んで、ハードロック的パワー、軽演劇的洒脱、祭文(さいもん)語り的渋さ、ジャズの粋なリズム、まっすぐな純情、そして悪夢や幻想の場面を書くときのしたたかな文章のひとくだりなどのようなさまざまな色彩を場面に応じてほどこしつつ、いったん奈落の淵に落ちた“ボク”が、奇跡の出会いによってさらなる過酷なストラグルを強いられたあげく、ついに生還するという、古代神話のごとく骨太な、面白さと怖さにみちた、ひとりの男の成長譚ともいうべきものがたりを書き切ったあとの、著者の充実した疲労感が乗りうつった反応であるのかもしれなかった。
そして、著者にとっての宿命であったとはこの作品の執筆まで、“いねむり先生”亡きあと二十ニ年の時を要したのは、当然のなりゆきであったのだろうというのが、読後にしみじみと残る感慨だった――。
【関連読書日誌】
- (URL)“夫婦とは、他人との生き方の共有。支え合う男女。それが「燻し銀」のような関係をつくり、深い喜びに結びつくのだ” 『妻と最期の十日間 (集英社新書)』 桃井和馬 集英社
- (URL)“寂しくても、暖かかったと感じてくれたことを、そして、私と出会って、私たち家族と出会って幸せだと思ってくれたことを、今は何にも替えがたい彼女からの最後の贈り物だったと思うのである” 『つひにはあなたひとりを数ふ』 河野裕子と私 歌と闘病の十年 (最終回) 永田和宏 波 2012年 05月号 新潮社
- (URL)“幸せだった思い出を語るのが,いちばんうれしいことではないか” 『いまも、君を想う』 川本三郎 新潮社
- (URL)“みんなが自分の本当の仕事を持っているのだ.”『瀕死の双六問屋 (小学館文庫) 』 忌野清志郎 小学館
- (URL)“人間は、誰かとつながっていたいもの」「あなたが求めれば、やさしく手を差し伸べてくれる人が必ずいる” 『いねむり先生 (集英社文庫) 』 伊集院静 集英社
【読んだきっかけ】朝日テレビのドラマ「いねむり先生」をみて,博多駅ナカの書店で購入
【一緒に手に取る本】
阿佐田哲也は昔読んだが、色川武大は読んでなかった.『百』くらいよんでみようかな.
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