“かつて、追い返されて帰って行ったときのエリーゼの笑顔、絶望のふちで『舞姫』をしたためた鷗外の背中。これは、ふたりの生涯の姿でもあった” 『それからのエリス いま明らかになる鴎外「舞姫」の面影』 六草いちか 講談社

- 作者: 六草いちか
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/09/04
- メディア: 単行本
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本書のもうひとつの成果は,鴎外その人の人柄に対して,新しい陽の光を与えていることであろう.ともすると,官僚的で,秀才で,冷たい感じの先入観が働きがちの鴎外だが,ここで明らかになる鴎外は,家庭を大事にした鴎外の姿である.
関東大震災の直後に,森鴎外記念館が発行している機関誌「鴎外」を受け取る.
P.10
巻末に組まれた特集が目にとまり、吸いこまれるように読みはじめた。
P.79
志げは、度の過ぎる正直者で、周囲を慮るより先に思ったことを口にしてしまい、問題を引き起こすことの多い女性だったようだ。のちに起きた姑峰との対立は小説『半日』でも知られているが、「油位は恐れないよ」と言ってそのまま手を引いていた鷗外は、その言葉どおり、いかなることがあっても生涯志げの手を離さなかった。
『波瀾』のこの一文には、結婚当初から、鷗外が志げを大切にしていたようすがよくあらわれている。鷗外は志げを大切にしすぎて、結婚したにもかかわらず、何力月も性交渉をもたないでいたと『波瀾』には書かれている。そんなことまで活字にしてしまう志げの正直さはかなりのものだ……。
P.100
エリーゼはべルリンに戻らずアメリカに渡ったとする説があった。
エリーゼがイタリアのジェノヴァの港で下船しているからだ。二十年後のエリーゼとの再会を思わせる小説『普請中』の女が,アメリカに行くと言っていることが、連想を高めさせたのかもしれない。しかしこれもたんなる節約のコツであって、エリーゼはアメリカに渡ったわけではない。乗船券を手配した人物は、エリ―ゼをジェノヴァの港で降ろし、ベルリンまでは鉄路を使わせたのだろう。
P.108
ちなみに、今野勉氏は『鷗外の恋人―百二十年後の真実』において、植木哲氏の「エリーゼはアンナ•ベルタ•ルイーゼという名の少女だった」とする説を支持し、その根拠をニ点あげた。ひとつは、このモノグラム型が特別な意味のあるモチーフばかりを集めた特注品であるということ、もうひとつは型の上部中央のクロスステッチ用のX穴は、購入者が独自に打ちこんだもので少女のイニシャルも組みこまれているというものだった。
しかし残念ながらこの二点はどちらもありえない。
P.146
ちなみに、『不思議の国のアリス』などで耳にする「いかれ帽子屋」といぅ表現は、紳士帽子製造過程に水銀が用いられるため中毒症状を起こす職人が多かったからで、この「帽子屋」はフートマッヒャーを指している。
帽子のフェルト地を硬くするために水銀が使われたらしい.
P.170
現在、森鷗外記念館は三つある。鷗外生誕の地の津和野と、長年暮らした東京と、留学の地のベルリンの三力所だ。津和野と東京は、それぞれ、自治体である島根県津和野町と東京都文京区が管理しているが、ベルリンはフンボルト大学日本学科の一施設として管理されている。大学の授業がここでおこなわれなくなつて久しいというし、大学関係者の出入りが激減し目が届かなくなつたということもあるのかもしれない。事情はどうであれ、大学という学術機関の施設が、曲がった史実の情報源となつていることは非常に大きな問題である。
P.180
ベルリンにおいては一九四一年十月から強制収容所への大量移送が始まっていたが、ユダヤ人大虐殺を隠密におこなつていたナチスは自国民から糾弾されることを恐れ、ドイツ人女性と結婚しているユダヤ人たちには手を出さなかつた。
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ところが、一九四三年二月二十七日、状況が一転した。夫たちが突然姿を消した。職場から連行されユダヤ教会に集められ、強制収容所へと移送されたのだった。
ドイツ人妻たちは、この日の夜には教会のあるローゼン通りに集まりはじめ、街路に沈黙のまま立ち尽くすという挙に出た。厳冬の中、何日も続けられた女たちの無言の抗議によって、連れ去られた約二千人の男たちのほぼ全員が数週間内にベルリンにつれ戻され、妻たちのもとへと返されたといぅ。この感動的なできごとはニ〇〇三年に映画化され、かつて教会があった場所には、現在は記念碑が建っている。
P.194
エリーゼの亡くなった一九五三年には、東べルリン地区で東ドイツ政府にたいする市民運動が起きている。六月十七日にソ連軍が武力で鎮圧し、多くの市民が犠牲となった。エリーゼの亡くなる二ヶ月前のことだ。この悲劇を記憶に留めるため、西ベルリンは、東西の境界線であるブランデンブルク門から西べルリン地区であるエルンスト・ロイタ―広場までの大通りを「六月十七日通り」と改称し、以来、冷戦時代は、西ドイツは六月十七日を「ドイツの統一の日」として国民の祝日にしていた(現在の、十月三日の東西ドイツ再統一の祝日「ドイツ統一記念日」“Tag der Deutschen Einheit”とまったく同じ名称だが、六月十七日の祝日は、大文字 “D”ではなく小文字“d”であるため意味合いが違う)。
P.353
鴎外もまた、愛と忍耐の人だった。多才であったことへの妬みか、または、職務上の意見の相違が災いとなったのか、鷗外は上司から、現代の表現でいうパワーハラスメントを受けることも多く、何度も辞職を考えながら踏みとどまり、なにが起きようと、はたからどう思われようと、深い愛情と全霊をもって家族を守りぬいた。
エリーゼは、身元を証明するものをなにも持たない状態で、老人ホ―ムの大部屋で、ベルリンに生きた、ただひとりの女性としてその生涯を閉じた。
鷗外は、臨終の床に親友賀古をよび、生涯をかけて築き上げた社会的地位や肩書きのすべてを拒否し、津和野に生まれた、ただひとりの男児として死ぬことを望んだ。墓石にも名前以外は何も彫らないよう遺言した。
奇しくもこのふたりの最期はとてもよく似ている。かつて、追い返されて帰って行ったときのエリーゼの笑顔、絶望のふちで『舞姫』をしたためた鷗外の背中。これは、ふたりの生涯の姿でもあった。
【関連読書日誌】
- (URL)“永年の論争に終止符を打つ. 日本文学史上最大の謎,森鴎外「舞姫」モデルついに発見” 『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』 六草いちか 講談社
- (URL)『鴎外の恋人―百二十年後の真実』 今野勉 日本放送出版協会
- (URL)“遺言にあらわれているものは、すさまじいまでの孤独感である。枯寂といってもよいであろう” 【森鴎外 熱血と冷眼を併せ持って生死した人】『「一九〇五年」の彼ら』関川夏央 NHK出版
【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

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