“われわれがなすべきことは,… 贈られたものや不完全な存在者としての人間の限界に対してよりいっそう包容力のある社会体制・政治体制を創り出せるよう,最大限に努力することなのである.”  『完全な人間を目指さなくてもよい理由 遺伝子操作とエンハンスメントの倫理』 マイケル・J・サンデル ナカニシヤ出版

完全な人間を目指さなくてもよい理由?遺伝子操作とエンハンスメントの倫理?

完全な人間を目指さなくてもよい理由?遺伝子操作とエンハンスメントの倫理?

子孫の能力を高めるために人間の遺伝子を操作することは許されるのか,子孫に伝わらない遺伝子操作ならば許されるのか,例えば,遺伝子操作によって筋力を高めることは許されるのか,仮にそうしたことが許されたとしたらこの社会はどなるのか.,NHKの番組,「ハーバード白熱教室」で一躍有名になった,「正義」のマイケル・J・サンデル教授が,こうした問いに答え,生命倫理についての考えを述べたのが本書である.原題は“The Case against Perfection: Ethics in the Age of Genetic Engineering”.

最初は,政治哲学のサンデル教授と生命倫理の結びつきが意外であったのだが,よく考えてみれば,正義(Justice)とは何かを問うサンデルの講義を聞くまでもなく,生命倫理こそ正義とは何かが問われる問題である.

このように書くと,先入観によって本書が誤って色づけされてしまいそうである.NHKの番組やサンデル教授の話しぶりは,一旦すべて忘れて欲しい.訳者の林芳徳,伊吹友秀両氏は,生命倫理の専門家であり,かなり以前から本書の翻訳を予定していたようである.訳者あとがきでは,「本書がそうしたサンデルブームに乗じた後追いと思われるのも癪に障る(?)ので」と記して,翻訳に至る経緯が述べられている.

2010年のノーベル医学生理学賞は,ヒトの体外受精技術を確立した,ロバート・G・エドワーズ,ケンブリッジ大学名誉教授であった.この20年,人工授精,遺伝子操作,臓器移植,クローン技術,ES細胞(杯性幹細胞),iPS細胞(誘導多能性幹細胞)など生物学,医学の進歩は著しく,デザイナーべビーという言葉さえ現実味を帯びて使われるようになりつつある.こうした「生命を操作する」技術がひとつ進むごとに,生命倫理の問題は常に議論の対象になってきた.

サンデル教授と「ハーバード白熱教室」に興味があろうとなかろうと,生命を操作する技術がここまで進んできた現在,少しでも多くの人が関心を持って読むべき本であるし,その議論に加わるべきである.遺伝子操作によってエンハンスするのではなく,こうした問題を自らの頭で考えることによって自らをエンハンスすべきであろう.アイビー・リーグ筋ジストロフィーといった比較的平易な用語に対しても丁寧に訳注がつけられているのは,少しでも多くの人に読んで欲しいという訳者の意図だと推測され,好感が持てる.

本書を取り上げる前に,まず紹介しておかなければならない本がある.それは,『治療を超えて―バイオテクノロジーと幸福の追求 大統領生命倫理評議会報告書』である.これは,2001年にジョージ・W・ブッシュによる大統領令によって設置された大統領生命倫理評議会が,2年の議論を経て大統領に提出した報告書をまとめたものである.タイトルの「治療を超えて」の意味するところは,本来,病気を治す治療(treatment)がその目的であった医療が,今や人間の能力をより高めるエンハンスメント(enhancement)に利用されつつある事実にある.エンハンスメントのわかりやすい例は,向精神薬美容外科であるし,いずれは,遺伝子治療によって標準を超える肉体的能力を持たせるといったエンハンスメントも可能になるかもしれない.

『治療を超えて』については,監訳者である倉持武氏による訳者あとがきの文章を引用しておこう.

これほどの体系的な報告書を書く大統領生命倫理評議会を持つアメリカと,先端医療に関して相互関連を欠いたその場しのぎの断片的報告書しか書くことができず,大学の白痴化に邁進する日本と,その懸隔のはなはだしさを否応なく感じさせられたからである.

サンデル教授の本に書いてあるのだが,ブッシュ大統領が大統領拒否権をはじめて行使したのは,大統領就任6年目のことであり,それは,税制,イラク問題,テロリズムなどの政治的問題ではなく,胚性幹細胞研究に関するものであった.この拒否権行使を決定した,ブッシュ大統領,チェイニー副大統領が何を考えていたのか知りたいところである.

完全な人間を目指さなくてもよい理由?遺伝子操作とエンハンスメントの倫理?』は評議会の結論をなぞるものではなく,サンデル教授自身の考え方がその根拠とともに述べられている.サンデル教授はの立ち位置は,良識的かつ慎重である.

批判にされられてきた古典的な優生学に対し,ゲノム時代に至って,個人の選択の枠の中にその利用を制限する新しい「リベラル優生学」が提案されていると言うが,サンデル教授にはこれにも,批判的,且つ慎重である.

少し長いが引用する.

競争社会で成功を収めるために子どもや自分自身を生物工学によって操作することもまた一種の自由の行使ではないか,と考えたくなるのも無理はない.だが,われわれ人間の本性に合わせて世界を変更するのではなく,逆に世界に合わせるために人間の本性を変更することは,実際にはもっとも深刻な形態の人間の無力化(ディスエンパワーメント)をもたらす.それは,われわれの目を世界に対する批判的な反省から逸らし,社会的・政治的改良へと向かう衝動を弱めてしまう.われわれがなすべきことは,新たに獲得された遺伝学の力を用いて「曲がった間性の材木」をまっすぐにすることではなく,贈られたものや不完全な存在者としての人間の限界に対してよりいっそう包容力のある社会体制・政治体制を創り出せるよう,最大限に努力することなのである.


Kazuo Ishiguroが小説『わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)』(原題:Never let me go) で示した世界は,すぐそこにきているのではないか.この小説は,日本的なカテゴリの中では純文学に属するだろう.30年前であればSFだったかもしれないが,今やそんなことは言えなくなっている.ちなみに,推理小説でもないのに,毎年年末恒例の「このミステリーがすごい」で,上位にランクインしていた小説でもあるから,ここでは種明かしはしないでおく.下記は,小説終章近くにおけるマダムのせりふ.

「… 新しい世界が足早にやってくる.科学が発達して,効率もいい.古い病気に新しい治療法が見つかる.すばらしい.でも,無慈悲で,残酷な世界でもある.そこにこの少女がいた.目を固く閉じて,胸に古い世界をしっかり抱きかかえている.心の中では消えつつある世界だとわかっているのに,それを抱きしめて,離さないで,離さないでと懇願している.…」

【読んだきっかけ】新聞広告.サンデルブームの便乗広告といえば,そういうことになるだろう.NHK番組のおかげで,この本にも多くの人の注目が集まることは嬉しい.『治療を超えて』は以前から知っていたのだが,迂闊にもサンデル教授が評議会のメンバであったことは,この本を読むまで気がつかなかった.

【一緒に手に取る本】

治療を超えて―バイオテクノロジーと幸福の追求 大統領生命倫理評議会報告書

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わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

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これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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