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“十九歳のとき(多分、太地喜和子に誘われて)、同じこの地で唐十郎の下町唐座の芝居を観て、役者が縦横に走り回り、お客が熱狂する姿に、「歌舞伎の原点はこれだ」と思う。以来、先祖の勘三郎代々が座元(興行主)も兼ねた「中村座」を平成の世に甦らせたいと、誰彼となくその夢を語り続けた” 『勘三郎伝説』 関容子 文藝春秋

勘三郎伝説

勘三郎伝説

すごくいい話がたくさん詰まった珠玉の一冊!!!
古い世界の歌舞伎を、伝統を壊すことなく、変えていこうとしていた人だったことを知る。惜しい!
第一章 初恋の人に銀の薔蔽を
P.12

 二十数年前、その店で勘三郎(当時勘九郎)さんが太地喜和子さんとの真剣な恋の話を熱く語つたことがある。
 私は生涯この話を書くことはあるまいと思って聞いていたが、彼の亡くなった日の早朝から喜和子さんとのことがテレビの映像で流れ、この恋なくしては今の自分はなかった、と中村屋自身が言っているのを見た。
 あのとき、人が人を本当に好きになるということは、こんなにもその人生に深く根をおろすものなのか、と切に感じ入ったことが今も変らず私の中にある。勘三郎といぅ人を丸ごとわかってもらうために、やはり書こう、と思う。

P.20 中村屋の弁

「喜和子は『欲望という名の電車』のブランチが演りたくて仕方がなかったんです。きっと素晴しかっただろうと思う。目に浮かぶょね。でも杉村先生がいらっしゃるうちはできないの、ってがっかりしてたから、いつかきっとできるさ、そしたらお祝いに俺が銀の蔷薇百本贈るからね、って約束して……」

P.23

 記者たちがー人去り、二人去り、というところで私が、いつか東京で会って中村星との話を聞かせてほしい、と切り出すと、いいわよ、とうなずいて、すぐに次のような話をした。
文学座のアトリエに私の芝居を毎日のように観に来てて……最後の幕切れに桜の花がパラパラッと散るんだけど、新劇は別にそういうところに凝らないから、本当に申しわけみたいに貧弱にパラパラパラ、なのよ。そしたら楽の日、私の下駄箱の上に茶色い大きな紙袋……、歌舞伎で使う型押しの立派な桜の花びらが入ってるのが、ふた袋も置いてあったのよ。見ると、少年みたいな字で、『この花でステキなさよならして下さい。のり』って書いてあったの(笑)。
可愛いでしょ。十九だったものね、彼。そりゃあその晚の桜吹雪は豪華なものだったわよ。ほんと、見せたかったくらい......」
と、遠い日をなつかしんだ。
 それから程なく運命の十月十三日がやってきて、あの事故が起きた。中村屋はそのとき京都にいたが、最終の新幹線に飛び乗って文学座アトリエのお通夜に列席し、銀の蓄薇百本を霊前に供えて生前の約束を果たしたという。
 少し曰を置いてから、私は中村屋に,こんぴらで聞いた喜和子さんの話を伝えた。
「ふうん。今度いつか東京で、って言ってんのにすぐそんな話をしたんだね。もう会えないと虫が知らせたってことなのかね。喜和子は日ごろから水が怖いと言ってて、洗面器の水さえ怖いと言ってたのに、死に顔を見たらとってもきれいで安らかだった。水の中で、もう助からない、と覚悟したときに、せめて死に顔だけはきれいにしよう、と思ったんだろうね。ちっとも苦しそうな顔をしてなかつたのが救いだつた」

第二章 勘三郎スピリットヒ仁左衛門
P.31

 十九歳のとき(多分、太地喜和子に誘われて)、同じこの地で唐十郎の下町唐座の芝居を観て、役者が縦横に走り回り、お客が熱狂する姿に、「歌舞伎の原点はこれだ」と思う。以来、先祖の勘三郎代々が座元(興行主)も兼ねた「中村座」を平成の世に甦らせたいと、誰彼となくその夢を語り続けた。
「語り続ければ夢って叶うもんだよね」という話は、当時中村屋の知人友人にとっては耳に夕コだった。

P.39

 平成中村座では、折にふれて若手や脇役さんたちの試演会を開き、勉強の場を与えていた。
 中村獅童は二十九歳のとき映画『ピンポン』でブレ―クしたが、その後歌舞伎で注目を集めたのは中村座ニ年目の試演会『義経千本桜』「四の切」で狐忠信に抜擢されてから、と言える。あのとき花道の引つこみで自然に湧き上がつた歓声と拍手で、歌舞伎役者獅童のスター卜を切つた。その恩義を深く感じた獅童が、勘三郎のお通夜や密葬で黙々と立ち働く姿をテレビカメラがしばしばとらえていた。

第三章 超多忙な天才子役
第四章 中村屋極付『連獅子』誕生秘話

 歌舞伎座さよなら公演最終月、第一部の中村屋父子三人による『連獅子』の評判はすごかった。歌舞伎座へのお別れと有難うの挨拶の心をこめてていねいに踊り、獅子の毛振りは親子だけにきれいに揃い、楽日には数えていたら最後のところで八十八回も振ったのよ、と友人から報告があった。お客が熱狂して
、嵐のような拍手が十二分間も続いたが、とうとうみんなが諦めて帰るまで幕は上がらなかった。これもあとで聞くと同じ理由で、
「お客さまには気の毒だったけど、中村座とは違うんだから、勝手をしてはほかの先輩方に悪いでしょ」
ということだつた。
 結局この伝説の名舞台が、私たちが観る中村屋最後の『連獅子』となった。
 先代は、傘寿では是非とも孫獅子と踊りたいと希望を語ったといぅがついに叶わず、中村屋の孫獅子との共演を観たいと願った私たちの夢も、虹のようにはかなく消えてしまった。

第五章 命あつてのもの
第六章 二十ニ歲下でも海老蔵は友だち
第七章 「わたIの若い友人」ヒ書く作家
第八章 新Iい世界への挑戦
第九章 夢の地因
第十章 勘三郎の出会った人々
第十一章 思い出走馬灯
【関連読書日誌】

  • (URL)“人が人を本当に好きになるということは、こんなにもその人生に深く根をおろすものなのか” 『中村勘三郎の「告白」 関容子 文藝春秋 2013年 02月号

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

KANKURO V FINAL~五代目 中村勘九郎 最後の「連獅子」~ [DVD]

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連獅子/らくだ [DVD]

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歌舞伎名作撰 野田版 研辰の討たれ [DVD]

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