“自分の身体を積極的に使う行動によって,自分で新しく発見してゆくことの大切さを,人類学の現地調査の「体験知」に限らず,現代における知のあり方一般にも通じる問題として,私は考えてみたいのです.” 『人類の地平から―生きること死ぬこと』 川田順造 ウェッジ

人類の地平から―生きること死ぬこと

人類の地平から―生きること死ぬこと

無文字社会の歴史―西アフリカ・モシ族の事例を中心に (岩波現代文庫)』以来,その著作を気にしていた文化人類学者によるエッセー.
大きく分けて次の3部からなる.
人間らしさとは何か,歴史から学ぶもの,時代と学問−学問は世の役に立つか.
人間と社会を長年にわたり観察してきた経験と眼が活かされている.

p.244

本やインターネットから得られる知識は,すでに先人によって集められ,一定の立場から整理され解釈された情報です.そうした情報を得る行為は,“in-form”すること,つまり既に作られた「かたち」に自分をあてはめることでもあります.そのこと自体は,既知の情報を整理する上で必要なことなのですけれども,それだけに終わらず,自分の身体を積極的に使う行動によって,自分で新しく発見してゆくことの大切さを,人類学の現地調査の「体験知」に限らず,現代における知のあり方一般にも通じる問題として,私は考えてみたいのです.「パフォーミング・アーツ」が,身体表現の芸術を指して用いられるように,“per-form”を,“in-form”とは逆の指向をもった,身体的「はたらきかけ」としてとらえてみたいのです.

本書の最後は,柴田翔の『されどわれらが日々― (文春文庫)』からの引用で終わるのが印象的.孫引きになりますが,記しておきます.氏の若き頃の世相が反映されているとも言えよう.
p.247

「やがて,私たちが本当に年老いた時,若い人たちがきくかも知れない,あなた方の頃はどうだったのかと.その時私たちは答えるだろう.私たちの頃に同じように困難があった.もちろん時代が違うから違う困難ではあったけれども,困難があるという点では同じだった.そして,私たちはそれと馴れ合って,こうして老いてきた.だが,私たちのなかにも,時代の困難から抜け出し,新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだと.そして,その答えをきいた若い人たちのなかの誰か一人が,そういうことが昔もあった以上,今われわれにもそうした勇気を持つことは許されていると考えるとしたら,そこまで老いて行った私たちの生にも,それなりの意味があったと言えるのかも知れない」.

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