“文化政策はある価値の選別と多様な価値の共存とを両立させねばならないという点において根本的に両義的だが、そう考えると直接振興という表現は適切ではなく、そもそも文化政策は表現の自由とその多様性を保証するための手段とさえいえるのだ” 『グラスツールと文化政策』 吉澤弥生 現代思想 2012年5月号 特集=大阪 青土社

現代思想2012年5月号 特集=大阪

現代思想2012年5月号 特集=大阪

橋下現大阪市長が,文化事業に対する補助金見直しを次々とうちだし,物議を醸している.もともと日本という国は,フランスなどに比べ,文化芸術に対する公的補助の薄い国である.ましてや,経済沈下著しい関西において,市・府財政をどうハンドリングするのか.神戸,京都という国際(文化)都市にはさまれて,大阪をどうアピールするのか.手腕が問われていているところだろう.そして手腕と同時に,橋下市長自身の哲学,価値感のありようが問われている,とも言える.
 本稿は,現代思想の大阪特集号に寄せられた文章.「大阪の現代芸術をめぐるここ10年の省察」なる副題がつけられている.橋下氏が登場するまでに,大阪の文化行政がどうであって,その効果がどうであったかということとを踏まえた上で今後のことを錬るべきである.その意味で大変参考になる.

 大阪は長らく芸術に厳しい都市といわれてきた。特に大阪市政令指定都市のなかで唯一文化振興財団をもたず,各地の自治体がハコもの文化行政を進めた1970ー80年代を経ても近現代の作品を扱う美術館をもたないなど,(よしあしはさておき)そういわれる理由はたしかにあった。とはいえ、もちろん大阪に文化がなかったわけではない。400年前からは文楽人形浄瑠璃)が受け継がれ、映画や音楽公演などのメジャなー文化だけでなく、コンテンポラリーダンスの拠点トリイホールや小劇場とミニシアターを備えた扇町ミュージアムスクエアも盛っていたし、アンダーグラウンドでは世界的にも有名なノイズ・シーンも存在した。道頓堀のキリンプラザ大阪の現代美術ギャラリーでは、若手の美術作家も次々と育っている。

1990年:近代美術館建設準備室
1999年:広報誌「C/P」(カルチャーポケット)発行
2001年:「芸術文化アクションプランー新しい芸術文化の創造と多彩な文化事業の推進に関する指針」

2002年:新プラン「文化事業アクションプランー来て,見て,楽しいまちづくりをめざして」
    芸術創造に関する言及が劇的に減り,鑑賞や文化消費を重視する1980年代に逆行.
2003年:「C/P」休刊
     NPOを中心とした事業推進へ
2011年」「魅力あふれる『芸術文化都市 大阪』の創造」を策定
2011年12月 アクションプラン,美術館計画白紙に

万博以後,「芸術文化振興室」設置
1989年:文化振興財団設立
1990年:現在芸術文化センター(仮)建設計画
2001年:センター建設計画凍結

文化予算の大幅カット

アート事業が,緊急雇用創出基金事業費からでているため,現場スタッフの雇用が不安定に.
 一般的、芸術文化の直接振興ではなく、それを都市政策や社会包摂事業の手段と位置づける間接的な振興策が広がっている。芸術文化という営みがそもそも昨今の公共政策で重視される競争原理や成果主義とそぐわず、その文脈での説明責任を果たすことが難しいため、成果が数値化されやすい他の社会的文脈で結果を残すことがいわば生き残り策となっているのだ。
(略)
文化政策はある価値の選別と多様な価値の共存とを両立させねばならないという点において根本的に両義的だが、そう考えると直接振興という表現は適切ではなく、そもそも文化政策表現の自由とその多様性を保証するための手段とさえいえるのだ。

次の2点を指摘している

  • 文化事業に関する行政のパートナーとしてのNPOの視識の脆弱さ
  • 現場スタッフ,芸術労働者の労働問題

日本社会における圧倒的な数のマイノリティである女性の労働問題を直視しない限り,芸術であれ何であれ、未来などない。

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