““思考の嵐”がもたらすのは,知識ではありません.善悪を区別する能力であり,美醜を見分ける力です.私が望むのは,考えることで人間が強くなることです.危機的状況にあっても,考え抜くことで破滅に至らぬよう” 映画「ハンナ・アーレント」パンフレット EQUIPE DE CINEMA 196

マルガレーテ・フォン・トロッタ監督、バルバラ・スコヴァ主演の「ハンナ・アーレンと」を観る。上映の何か月も前からこれだけは見逃すまいと楽しみにしていたのに、昨秋娘と岩波ホールに行ったら満員売り切れ。今日、京都シネマ最終日にもう一人の娘といったら、これまた満席。だけど立ち見で観る。新聞評などで随分と語られていたのは知っていたが、ここまで人気になるとは思ってもみなかった。非常に、哲学的な、重たいテーマであるし、なにせ、ハンナ・アーレントである。
 ハイデッガーとの恋、ユダヤ人収容キャンプから脱走して一命を拾い、アメリカへ亡命したきたという来歴も示しつつ、アイヒマン裁判の傍聴と、「イスラエルのアイヒマン」執筆の過程、その後の激しい批判が描かれる。
 満員の学生に向け、弁舌をふるう場面は圧巻。リーガルハイ2の第9話ににおける古美門研介の弁舌を思い出した。

「私は考えました。法廷の関心はたった一つだと.正義を守ることです.難しい任務でした.アイヒマンを裁く法廷が直面したのは,法典にない罪です.そして,それはニュルンベルク裁判以前は,前例もない.それでも法廷は彼を裁かれるべき人として裁かねばなりません.しかし裁く仕組みも,判例も主義もなく,"反ユダヤ"という概念すらない.人間か'一人いるだけでした」

「彼のようなナチの犯罪者は,人問というものを否定したのです.そこに罰するという選択肢も,許す選択肢もない.彼は検察に反論しました.何度も繰り返しね.“自発的に行ったことは何もない.善悪を問わず,自分の意志は介在しない.命令に従っただけなのだ”と」

「こうした典型的なナチの弁解で分かります.世界最大の悪は,平凡な人間が行う悪なのです.そんな人には動機もなく,信念も邪心も悪魔的な意図もない.人問であることを拒絶した者なのです.そしてこの現象を,私は「悪の凡術さ」と名づけました」

ソクラテスプラトン以来私たちは"思考"をこう考えます.自分自身との静かな対話だと.人間であることを拒否したアイヒマンは,人間の大切な質を放棄しました.それは思考する能力です.その結果,モラルまで判断不能となりました.思考ができなくなると,平凡な人問が残虐行為に走るのです.過去に例がないほど大規模な悪事をね.私は実際,この問題を哲学的に考えました.“思考の嵐”がもたらすのは,知識ではありません.善悪を区別する能力であり,美醜を見分ける力です.私が望むのは,考えることで人間が強くなることです.危機的状況にあっても,考え抜くことで破滅に至らぬよう.ありがとう」

 アーレントがアイヒマンを擁護したかのように捉えられたがために、ユダヤ人から強い非難を浴びたという事実は、フランクルが「自分が知っているのは犠牲者だけで、加害者を知らない」と言ったことによって、故国で非難する声があったことを思いださせる。
深く煙草に魅せられていたヘビースモーカーのハンナ・アーレントを演じたスコヴァは、嫌煙主義者であるらしい。
【関連読書日誌】

  • (URL)“恐るべきは国家の犯罪である。弾劾さるべきは、理想に名を借りて犯罪を目的化した国家のイデオロギーである。” 『カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺』 ヴィクトル・ザスラフスキー 根岸隆夫訳 みすず書房
  • (URL)“未来の世界の住民は、ネットワークに触れることで、運命によらず確率によって、動物的な生の安全の閉域から外に踏みだし、社会との接点を回復する” 『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』 東浩紀 講談社
  • (URL)“しかしここでは、あえてこれを「科学の完全無欠幻想」と呼ぶことにしたい” 『科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328) 』 平川秀幸 日本放送出版協会
  • (URL)“どんなことも、私たちが共に過ごした人生を、私たちが共になしとげたすべてを、私とエリ―から奪うことはできない。私たちは決して、別々になることはないんだ” 『フランクル『夜と霧』への旅』 河原理子 平凡社
  • (URL)“現象は一元的ではない。多元的で複層的だ。複雑に絡み合っているからこそ、僅かな歯車の食い違いが大きな過ちへと転化して、なし崩し的に事態が進行する” 『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』 森達也 ダイヤモンド社

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

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イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

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今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)

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暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

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