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“夏目漱石はなぜああいうふうに、今あらわれている現代日本ととけこむような作品を書けたのか。今、目前にある日本に必要な批判を作品の中に刻みこむことができたのか” 『日本人は何を捨ててきたのか: 思想家・鶴見俊輔の肉声』 鶴見俊輔, 関川夏央 筑摩書房

日本人は何を捨ててきたのか: 思想家・鶴見俊輔の肉声

日本人は何を捨ててきたのか: 思想家・鶴見俊輔の肉声

鶴見俊輔との対談を納めたもの.聞き手は,関川夏央鶴見俊輔の対談相手は,ちょっとやそっとでは務まらないだろう.関川夏央著作は読んできていたが,この組み合わせはちょっと意外だった.だが,見事なコンビ.普通対談ものは,しっかり編まれた著作に比べ,散漫なできになっているものが多く,私はあまり好まない.しかし,本書のように優れた対談は,両者の発話が相乗効果のようにお互いの記憶,知識,そして想像力をかきたて,より密度の濃いものに仕上がる.鶴見俊輔のすごさは,何度も読んできたか,関川夏央も凄い人だと,気付いた次第である.
 1997年のNHK教育テレビでの収録分(未来潮流「哲学者・鶴見俊輔が語る 日本人は何を捨ててきたか」)と2002年に京都で行われた対談の2部からなる,10年以上の前の対談であるが,3.11を越えた今でも何も古くはない.
 あとがきに相当する,鶴見俊輔先生の「敗北力」(関川夏央)より,ちょっと長いがその一部を引いておいたい.
P.278

 丸山眞男は一九一四年生まれ、コペル君より九歳の年長で、物語中の「叔父さん」とだいたい同年齢である。この本が出た三七年に東大法学部を出て助手となっていた。
 『君たちはどう生きるか』を読んで、「これはまさしく『資本論入門』ではないか」と感嘆した丸山眞男は、自分と同年代の「叔父さん」にではなく、「叔父さん」によって人間と社会への目を開かれるコペル君の立場に身を置くことで「魂をゆるがされた」。
 丸山眞男は書いた。
 「資本論の"常識"くらいは持ち合わせていたつもりです」「にもかかわらず、いや、それだけにでしょうか」「私は、自分のこれまでの理解がいかに"書物的"(ブツキツシユ)であり、したがって、もののじかの観察を通さないコトバのうえの知識にすぎなかったかを、いまさらのように思い知らされました」(「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」)
 鶴見俊輔は、この本を一九三九年、ボストンの日本人歯科医の家で読んだ。コペル君より一歳年長の彼が十七歳になる年である。
 そして後年、このように書いた。
 「私はハーヴァード大学哲学科の一年生で、日本でこういう形で哲学の本が書かれていることにおどろいた」「そのころ私は西洋哲学者の名著を毎日たてつづけに読むなかで」「(それら名著に)少しもおしまけず、それらをまねするものとしてでなく、この本がたっていると感じた。日本人の書いた哲学の名著として、私はこの本に出会ったL(「記憶のなかのこども」)
 亡くなったコペル君のお父さんは銀行家だった。級友の北見君のお父さんは予備役陸軍大佐で、水谷君の家は海を見下ろす高輪台の広い洋館で、ポーチのある玄関から書生が、訪れたコペル君たちを案内してくれるのである。同級生ではただひとり、浦川君だけが小石川の豆腐屋の息子で、お店の仕事をよく手伝っている。
 鶴見俊輔も高等師範附属の生徒であった。そしてその同級生には、たとえば家業の中央公論社をうけついだ嶋中鵬二、東工大教授を長くつとめた永井道雄、前衛短歌運動を盛り立て、のちに伝説的存在となる推理小説も書いた中井英夫などがいた。そのまわりに年少の賢い美少女たち、嶋中雅子や一時渋澤龍彦夫人であった矢川澄子などがいた。丸山眞男府立一中の出身だが、吉野源三郎は高師付属の大先輩である。それは、中流以上の東京の家庭と特権的な学校を中心とした、戦前の都会文化の厚みを感じさせる豊かな円環であった。そこに不良少年のアメリカ留学という劇的な要素が無理なく添えられる。私は、憧れにわずかな嫉妬の気持をまじえて、鶴見俊輔と正対していたのである。

P.280

 2011年3月11日のあとには、「敗北力」という短文を雑誌に寄せられた(「世界」2011年5月号)。
 「敗北力は、どういう条件を満たすときに自分が敗北するかの認識と、その敗北をどのように受けとめるかの気構えから成る」
 『日本人は何を捨ててきたか』という本書の表題は鶴見先生の言葉からいただいたのだが、日本人が「捨ててきたもの」のうち、もっともかけがえのないのは「敗北力」だと考えておられるようだ。

P.281

 長州藩文久三年(一八六三)、馬関海峡で英国を中心とする列強四力国と戦い完膚なきまでに敗北した。英国留学を急遽切り上げて帰国したが、この戦争を止めることができなかった伊藤博文は、焼かれた下関の町を歩きまわった。
 「(そして)西洋料理の材料を集め、上陸してきたイギリスの使節をもてなす用意を自ら監督して成しとげた。こんなことができる人を最初の総理大臣にするのだから、当時の日本人は欧米諸国を越える目利きだった」
 アーネスト・サトウは伊藤の、この「敗北力」に感服した。
 時はすぎ、老いて第一線を退き枢密院に上がった伊藤博文は、明治四二年一〇月、ハルビン駅のプラットホームで韓国人に暗殺された。韓国併合に消極的であった伊藤が死んで、日韓双方にもっとも損な結果をもたらす併合への流れが急加速する。

P.282

 鶴見先生は「敗北力」の最後に、こう書かれた。
 「今回の原子炉事故に、日本人はどれほどの敗北力をもって対することができるか。これは、日本文明の蹉跣だけではなく、世界文明の蹉跣につながるという想像力を、日本の知識人はもつことができるか」
 まことにしかり。日本の「知識人」、というより日本の「普通の人々」あるいは「知識的大衆」は、その真価を世界史の最先端で問われている。(二〇一一年六月)

巻末は,「この本への感想」と題する鶴見俊輔の文章.
P.285 

 漫画の絵を描く人・谷ロジローさんといっしょに漫画の流れをつくってゆく、そういう人として、関川夏央さんは、私の前にあらわれた。
 略)
夏目漱石はなぜああいうふうに、今あらわれている現代日本ととけこむような作品を書けたのか。今、目前にある日本に必要な批判を作品の中に刻みこむことができたのか。そういう二つの問題を考えてゆく手がかりを与える作品だった。
 (略)
 理論に足を取られると、土地の毒にあたると、南北戦争の敗者のあいだに育ったフラナリー・オコナーは書いた。明治以来のヨーロッパ思想模倣の段落を迎えた近代日本は、自分の中にひそむ身ぶりとつきあいの中から、新しいみちへの手さぐりに入ろうとしている。

本書から書き抜きすべきところは余りに多く,引用の範疇を優に超えてしまうので,すべてをここに記すことはできない,ごくごく一部だけを選びました.
歴史のうねりを捉えることのできる歴史家が日本にはいない,そして,日本の知識人は『自覚なしの百年の「樽」の中』にいたという.アメリカは,占領政策として「樽」を維持したという.そのほうが安上がりだから.
P.30 

 鶴見:美人は皮一重というけど、それは皮一重の皮膚の上のお化粧なんです。顔を洗えば、それは剥がれるでしょう。その顔を洗ったのが戦争なんだ。十五年も顔洗ったら化粧はみんな剥げちゃう。だから、「一億玉砕!」という思想に対しても、もっともらしく順応する。大学で美濃部憲法を学んでも、社会に出てね、裁判官になった人たちが全部、ファシズムの方へ行くのは当たり前なんだね。「樽」の中にいるんだから。

P.25 徳川夢声による「カリガリ博士」!夢声は一高の受験に失敗していてドイツ語できないから,サイレント映画を見て,自分で台詞をつけた.

 鶴見:(略)埴谷は丸山さんとの座談会で「天才徳川夢声」といっている。それは、徳川夢声宮本武蔵の朗読をラジオでやったからというんじゃない。カリガリ博士の映画を、夢声のせりふ付きで見たことが、丸山眞男にも埴谷雄高にも影響を与えていたんです。

P.65

 鶴見:大衆がいる。このことはすごくいいことだと思うんですよね。山田慶児(科学者。一九三二〜)が「日本が世界に輸出しているものは大衆文化だ」というんですけれども、これはオルテガ(スペインの哲学者。一八八三〜一九五五)が軽蔑的に使った「大衆」というのとはちょっと違う概念なんで、世界の中に大衆文化を出していくというのは面白いし、日本の文化は大衆の力だと思う。大衆といったときに、それをマスというひと言だけでは測れないというところに、日本の大衆の面白さがある。連句をやって楽しんでいたのは、マスとしての大衆じゃないでしょう。むしろ、日本でインテリがマスとして測れるということの方が重大で、こちらの側が「スキンディープ」だと思う。つまり、マスとして測れるような知識人を作っちゃったことは、とても具合が悪い。

P.126 京大助教授の頃,『虹滅記』の足立巻一に会う.

 関川:足立巻一(小説家。一九一三〜八五)にお会いになったのはそのころですね。
 鶴見:そうです。
 関川:当時、足立巻一は「新大阪新聞」という弱小夕刊紙の記者でしたね。
 鶴見:そうです。京大回りの記者だった。

P.204

鶴見:学者にしても、作家にしても、江戸時代をかぶっている漱石、鴎外がいいんですよ、それに露伴前田愛(文芸評論家。一九三二〜八七)は、鴎外を漱石の上に置いています。漱石の「文学論」というのは、問題が偉大なので、いくら勉強しても解けない。1・A・リチャーズ(イギリスの文学理論家。一八九三〜一九七九)が出た段階で解ける。リチャーズは、文化人類学をやっているからね。漱石が、世界に通用する独自の文学論を構想して、ウィリアム・ジェームズの『心理学原理』を二回も読んでも、結局、東西の文学がどうして分かれて、別のものになっているか、その問いは解けない。もちろん、漱石の力を持ってすればいつかは解けただろうけど、そうした出題が解けるようになったのは、リチャーズが出てからです。このことは、前田愛が教えてくれた。漱石からほぼ三十年を必要とした。だけど、漱石が、そうした問題を出したのは偉いと思う。自分でよろけて倒れてしまうほどの問題を出した。その後の英文学教授で、そういう問題を出した人はいない。

(末尾に目次を付します)
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本よみの虫干し―日本の近代文学再読 (岩波新書)

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目次

第一章
日本人は何を捨ててきたのか
近代日本が見失ったもの
戦後日本の「近代化」について
戦中の自分を何が支えたか
日本という「樽」
自在な個人がいた時代
「樽の船」で世界の海へ
明治国家を作った個人たち
個人を消した「樽」
二〇世紀に進歩はなかった
アメリカと明治国家、成り立ちの違い
「樽」の外の世界といかにして繋がるか
ナショナリズムに対抗しうるもの
「樽」の中にも「樽」
『世界史』という本の中の日本
いい大学からいい会社へという幻想
成長とは違う新しい歩みの道
「スキンディープ」とは何か
安上がりの占領のために
「消極的能力」
反省の「有効期限」
「受け身」の知力
悪人としての生
再び個人は現れる?
沖縄がになう未来
河野義行さんの語り口
戦後体験と転向研究
ドイツ語通訳として封鎖船に乗る
「この戦争は負ける」
正義以外の受け皿を
大村収容所廃止運動
なぜ交換船に乗ったか
「言葉のお守り的使用法」が「デビュー作」
「いい入」は困る
「転向研究」へ
高度経済下での転向問題
敵対するものの顔に似てくる
常に疑うこと
思想の体系化から遠く離れる
二百年の幅で現在を
サークルという場
気配を読む大切さ血
自分はちっぽけだという考え
帰化を避けるということ

第二章
日本の退廃を止めるもの
変わらない日本人の心
一番病
劣等生を重んじる態度
「残縁を保ち続ける」
細やかな世界の大切さ
道は一つではない
知識競争するインテリ
明治以前の「日本型近代」
一九〇五年-退廃の始まり
日本人の未来像
「庶民」とは何か
「知識人」への疑い
不良の花道
「できる」ことの弊害
江戸から地続きの現代
戦後文化の新潮流
不条理な怒りと作品の関係
日本の偉大な思想
近代日本の過ち
「ただの人」というあり方
鶴見俊輔先生の敗北ガ関川夏央
この本への感想鶴見俊輔