“薬物依存症患者は、薬物が引き起こす、それこそめくるめく「快感」 が忘れられないがゆえに薬物を手放せない(=正の強化)のではない。 その薬物が、これまでずっと自分を苛んできた「苦痛」を一時的に消してくれるがゆえ、 薬物を手放せないのだ(負の強化)”『依存症、かえられるもの/かえられないもの』 (「みすず 2018年11月号)松本俊彦

昨年から、「みすず」で国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部長、松本俊彦氏による連載『依存症、かえられるもの/かえられないもの』がはじまった。2019年4月号で第四回である。初回で語られた氏自身の若い頃のエピソードも衝撃的で、引きずり込まれるように読んでいる。

 

みすず 2018年11月号

連載第3回「生きのびるためのセガ・ラリー・チャンピオンシップ」

私はアディクションに関してこれまでとは違う二つの視点を持つことができた。一つは、トラウマ体験が引き起こす深刻な影響であった。そしてもう一つは、薬物依存症の本質は「快感」ではなく「苦痛」である、という認識だった。

薬物依存症患者は、薬物が引き起こす、それこそめくるめく「快感」が忘れられないがゆえに薬物を手放せない(=正の強化)のではない。その薬物が、これまでずっと自分を苛んできた「苦痛」を一時的に消してくれるがゆえ、薬物を手放せないのだ(負の強化)
生きのびるための不健康。しかし、それはなんらかの依存症を抱える人だけのものでは
ないのかもしれないと思う。一見すると健康そうに日々のルーチンを生きている人たちのなかにも、ささやかな不健康や痛みでバランスをとっている人は少なくないではなかろうか。

 みすず 2019年4月号

連載第4回 「神話を乗り越えて」

なにより驚くのは、

かつての精神医学の世界には、不思議な神話はいくつもあった。

 ということである。例えば、

  • うつ病患者を励ましてはいけない」
  • 統合失調症に幻聴や妄想の内容をくりかえし聴いてはいけない」
  • 「患者のリストカットに関心を抱いたり、主治医自ら傷の手当てをしたりしてはいけない」
  • 「悩んでいる患者に対して安易に自殺念慮について質問してはいけない」
  • 「患者のトラウマ体験について質問してはいけない」

少年矯正の世界から学んだことが二つある。一つは、「困った人は困っている人かもしれない」ということ、そしてもう一つは、「暴力は自然発生するものではなく、他者から学ぶものである」ということだ。

 【関連読書日誌】

 

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 【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

薬物依存症 (ちくま新書)

薬物依存症 (ちくま新書)

 
自傷・自殺のことがわかる本 自分を傷つけない生き方のレッスン (健康ライブラリーイラスト版)

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もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応

もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応

 

 

 

 

“田中は人の好き嫌いが表情に出るので、それを見ながら堀田は、 「ああ、この弁護士は信頼しているなとか、信頼していないな」 を判別していたという。  田中が一番敏感なのは「差別」だった。堀田にも差別意識は感じられない。それゆえに田中の魅力を感じとれたのだろう” 『田中角栄伝説 』 (光文社知恵の森文庫)  佐高信 光文社

田中角栄伝説 (光文社知恵の森文庫)

田中角栄伝説 (光文社知恵の森文庫)

 

 『未完の敗者 田中角栄』(2014年、光文社)を改題し、加筆修正したものが本書。

佐高信が、色々な人との対談、交流を通じて、聞き知ったエピソードを通じて、人物を語る

序章 テレビに伸びた母の手
第1章 魅力の源泉、三つの宿命
  1 女の中の男
  2 吃音者
  3 高等小学校卒
第2章 さまざまな田中角栄

  1 「田中に老婆心あり」と言った保利茂

  2 田中に惚れこんだ河野謙三
  3 田中擁立で佐藤栄作に絶交された木村武雄
  4 仲人の佐藤栄作に背いた橋本龍太郎
  5 大野伴陸との共通点
  6 「大学を出たやつが考えろ」と大平正芳を突き放した田中
  7 石原慎太郎との因縁
  8 盟友、大平正芳の腹の底に響く話
  9 菅直人の見逃したもの
 10 渡辺美智雄との相似性
 11 田中と対照的な松下政経塾卒の政治家
 12 仕出しや寸志にまで心砕く
 13 娘、眞紀子の角栄
 14 河野洋平の新党を激励しつつ懸念
 15 “叩き上げ”の田中秀征に声をかける

 16 力ミソリ後藤田が惹かれた田中
 17 安岡正篤を敬遠した田中と宮澤喜一
 18 “濁々併せ呑む男”徳間康快との接点
 19 東急の大番頭と肝胆相照らす仲に
 20 田村元とのケン力と仲直り
 21 担当検事、堀田力も認めた魅力
 22 ライバル、福田赳夫の田中評
 23 忌避された後継者、竹下登
第3章 角栄伝説の検証
  1 吉田茂佐藤栄作の系譜にあらず
  2 反官僚か、親官僚か
  3 民営化といぅ名の会社化に反対

  4 悪魔的魅力とロッキード事件
  5 “越山会の女王”といぅ存在
  6 創価学会公明党との関係
終章 未完の敗者
文庫版へのあとがき
主な参考文献

 P.118 仕出しや寸志にまで心砕く

 もう一つは、「寸志の渡し方」である。
 一番むずかしいのは旅先で先方が用意した車の運転手だといぅ。早坂が座席から渡せば済むと答えると、角栄は、
「駄目だ。俺やSPが見ている。心付けは誰もわからんところで渡すんだ。カネが生きる」

 と叱り、こう教えた。
「目的地に着けば、SPが下り、運転手が俺のドアを開ける。最後に君が下りる。運転手はドアの把手を握ったままだ。車の下り際に彼の手にしのばせろ。そこは死角だ。出迎えの連中は俺が目当てだ。誰も君を見ていない。わかったね」
 私は唸ってしまったが、読者はどぅか。

 P.129 田中秀征について

「台所事情などは人様に見せるものではないと思う。出てきた料理が皮ければ、台所はきれいなはずである。台所を使えば多少は汚れることもある。それをきれいにする気持ちと力があればそれでも良い。汚れがひどいと台所を見なくても料理を見れば察しがつくはずである。立派な料理は例外なくそれ相応の清潔な台所から出てくるものだ」
 秀征のこの考えは、「菅直人の見逃したもの」で菅直人を例に指摘した考えと同じである。

 P.136 力ミソリ後藤田が惹かれた田中

野中は小泉純一郎に危険なものを感じて、それと闘い、遂に引退した。いまは小泉の継承者の安倍晋三に「こんな政治を続けていてどうするんだ」と警鐘を鳴らしている。
 小泉は「自民党をぶっ壊す」と主張したが、それは「田中政治をぶっ壊す」ことになった。いま、私がこの本を書く意味もそこにある。小泉は壊してはならぬものを壊してしまったのではないかと思ぅからである。

 P.142 東急の大番頭と肝胆相照らす仲に

作家の本所次郎が書いた『昭和の大番頭』(新潮社)という作品がある。田中角栄と深く結ばれていた田中勇を描いたものだが、大東急の副社長として黒衣(くろこ)の人生を送った田中勇がどんなに魅力的な人物か、それは大蔵大臣当時の田中角栄をめぐる次のヤリトリで明らかだろう。

P.155 担当検事、堀田力も認めた魅力

 田中は人の好き嫌いが表情に出るので、それを見ながら堀田は、
「ああ、この弁護士は信頼しているなとか、信頼していないな」
を判別していたという。
 田中が一番敏感なのは「差別」だった。堀田にも差別意識は感じられない。それゆえに田中の魅力を感じとれたのだろう。
 坂上遼の『ロッキード秘録』(講談社)によれば、田中を連行した検事の松田昇に、田中は東京拘置所に向かう車中で、
「私を入れた以上、雑魚はもう入れないでくれませんかな」
 と頼んだとか。

P.172 吉田茂佐藤栄作の系譜にあらず

 湛山の筆鋒は銳い。私も“辛口評論家”などといわれるが、とてもとても、湛山の切っ先には及ばない。たとえば有名な「死もまた社会奉仕」の一文である。一九ニニ年に元老山県有朋が亡くなると、湛山は次のように山県を断罪した。
「維新の元勲のかくて次第に去り行くは、寂しくも感ぜられる。しかし先日大隈侯
逝去の場合にも述べたが如く世の中は新陳代謝だ。急激にはあらず、しかも絶えざる、停滞せざる新陳代謝があって、初めて社会は健全な発達をする。人は適当の時期に去り行くのも、また一の意義ある社会奉仕でなければならぬ」
 私はこれを初めて読んだ時、その峻烈さにとびあがつた。「死もまた社会奉仕」
と言い切るとは、と呆然としたのである。
 岩波文庫には『福翁自伝』など自伝の傑作がおさめられているが、『湛山回想』
もまさに巻を措く能わず。ただ、戦後まもなくのところで終わつているという欠点
は、その後を語つた『湛山座談』(岩波同時代ラィブラリー)によつて補われた。
石橋湛山評論集』と合わせて三冊を読めば、日本の知的財産の有力なる一つとして湛山思想があるということがわかるだろう。

本書で一番すごいことが書かれているのが、このあとがき 

P.262 文庫版へのあとがき 

『創』七月号(ニ〇一六年)の連載「タレント文化人筆刀両断!」欄に、中曽根康弘を取りあげ、田中角栄と比較して次のように斬つた。これを「あとがき」としたい。


ロッキード事件田中角栄の事件ではなく、中曽根康弘の事件だった。
当時の衆議院議長前尾繁三郎の秘書として舞台裏をつぶさに見た平野貞夫が『ロツキード事件』(講談社)で、その「葬られた真実」を明らかにしている。

(中略)

平野は「もし、児玉誉士夫の証人喚問が実現していれば、ロッキード事件は、ま
ったく違う展開を見せていたはずで、田中角栄の逮捕もなかったかもしれない」と
書いている。
 平野が感じていた謎は、『新潮45』のニ〇〇ー年四月号に掲載された天野惠一
(元東京女子医大脳神経外科助教授)の手記にょって一部解明される。

(中略)

議長の秘書である平野も知らなかった「国会医師団の派遣」とその日時を、なぜ
喜多村は知っていたのか?そう疑問を提起して、平野は自ら答を出す。しかるべ
き立場の人間が仕向けたのだ、と。
「では、その陰謀の黒幕は誰か?国会運営を事実上仕切れる立場にいて、児玉サイドとコンタクトできる人間——中曽根康弘幹事長ではなかろうか」
平野は控え目に断定しているが、中曽根はリクルー卜事件でも逃げ切った。犠牲になったのは藤波孝生である。周囲を枯らす藪枯らしと中曽根は若い頃から言われたが、この国も枯らしたのである。

【関連読書日誌】


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【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

 

湛山回想 (岩波文庫 青 168-2)

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石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)

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湛山座談 (同時代ライブラリー)

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ロッキード事件「葬られた真実」

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昭和の大番頭―東急田中勇の企業人生〈下〉

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昭和の大番頭―東急田中勇の企業人生〈上〉

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敵を知り己れを知らば――佐高信の気になる50人

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新装版 逆命利君 (講談社文庫)

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だまされることの責任 (角川文庫)

だまされることの責任 (角川文庫)

 
絶望という抵抗

絶望という抵抗

 
わたしを変えた百冊の本 (講談社文庫)

わたしを変えた百冊の本 (講談社文庫)

 

 

“ロッキード事件に関与しながらそれを秘密とするのに成功した中川ら政治家たちの、その後の苦しみを思うとき、私は暗然とする。ダグラス・グラマン事件についても同じような苦悩を抱えた政治家がいただろう。彼らが米政府によってその弱みを握られていると自覚しなかったはずはない” 『秘密解除 ロッキード事件――田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか』 奥山俊宏 岩波書店


 3冊ほどよんだ、田中角栄関連書籍の2冊目。著者は、朝日新聞記者を経て、編集委員。歴史の物語は後から作られる。本当にあったことと、推測をもとに流布した、あるいは、意図的に;流布されたストーリーとがおりまぜられて。


戦後最大の疑獄事件とされるロッキード事件。発覚から四〇年が経過した現在、当時の日米公文書の秘密指定が続々と解除されつつある。逮捕された田中角栄元首相はアメリカの虎の尾を踏んでしまったのか? 三木政権の中枢はどう動いたか? 事件を暴いたチャーチ小委員会はどこまで全容に迫れたのか? 米国の国立公文書館や大統領図書館などで発掘した文書をもとに、新たな視点からロッキード事件を読み直す。


本書で知ったこと

  • キッシンジャーは、田中を蛇蝎のごとく嫌っていたこと。アメリカにおけるトランプの登場は、かつての日本の田中角栄に通じるところもある。既存のエスタブリッシュメントは、一見無教養な彼らを毛嫌いする。
  • 「田中が虎の尾を踏んだ」説の間違い。この説は、田原総一郎によって語られた説であり、かなり信じられていた説であった。
  • チャーチ委員会資料、誤配の真相。ロッキード社の内部資料が、届られるはすのない、っチャーチ小委員会になぜ届いたのか。この「護送」がさまざまな陰謀説の憶測を生んだ。その真偽がP274に
  • 海部俊樹元首相

引用文献等豊富で、資料的価値も高い


まえがき
第一章 アメリカ政府はなぜ田中角栄を嫌ったのか?
 ―― 田中逮捕を「奇跡」と喜んだのはなぜか?
第二章 中曽根事務所から「米政府ハイレベルの圧力」
第三章 ニクソン大統領辞任から田中逮捕へと連鎖
 ー ウォーターゲート事件の風
第四章 中曽根幹事長から米政府首脳へのメッーセージ
条五章 三木首相「自民離脱、信問う」示唆、米政府に密使
第六章 CIAから「日本の政党」への資金提供と児玉誉士夫
第七章 日本に米国製兵器を売り込むために
第八章 日本政府高官への黒いカネを暴いて急ブレーキ
 ―― チャーチ小委員会の消滅
第九章 考察―― 本当に「田中角栄は虎の尾を踏んだ」のか?


P.154


「ニ人だけの会談に大した内容なかつた。彼がそれを望んだのは威信につながるからだと思ぅ」
フォードはどこか三木に距離を置いていた。


P.160



 平沢が三木の外交ブレーンであることは広く知られていた。七五年九月一九日の朝日新聞朝刊で、平沢は、「日米首脳会談にさいし三木首相の“先発隊”としてワシントンに乗り込み、カゲの演出者として重要な役割を果たすなど、三木内閣発足以来、首相の外交政策にきわめて強い影響力をもってきたことは内外周知の事実である」と紹介されている。
 しかし、平沢が三木の密使として活動したことは知られていなかつた。
 七六年二月ニ六日夜、若泉はロッドマンに対して、もしキッシンジャーが平沢に会えない場合にはその代理になる別の人物をキッシンジャーに指名してもらい、平沢と会談できるようにしてほしいという、三木の希望を伝えた。
 この報告を受けて、キッシンジャーはみずから会うことにした。
 ここに、元首相・佐藤栄作の密使から現首相・三木武夫の密使へと、キッシンジャーとのパィプの引き継ぎがなされた。


P.189


このころ、米情報機関は、児玉の周辺で不穏な動きを感じ取っていた。児玉と首相の吉田茂は反目しあっており、児玉はのちに「吉田時代の自由党は完全にアメリカのヒモ的存在だった」と振り返った。吉田もまた、児玉を嫌い、岸信介に「あんな男とは付き合うな」と注意することがあつた。
一九五三年(昭和二八年)四月二四日付のCIC調査官の報告によれば、三月一一日、銀座の料亭「おかはん」で、児玉がスポンサ―となって、右翼や元軍人の会合が開かれた。そこでは、吉田内閣を転覆するためには武力が必要だとの意見が出た。


P.192


五九年(昭和三四年二月一四日付のCIA保管の文書には、児玉が右翼でありながら、日中友好協会や日本共産党の幹部と手を結び、河野との関係も生かして、共産党支配下にある中国やソ連との貿易で利益を得ようと活動しているとの指摘がつづられている。「児玉は、共産ブロックとの友好関係の時代になつても、ボートに乗り遅れまいとしている」


P.217


ニ00六年七月一八日、米国務省の歴史担当官は史料集『合衆国の外交』第二九巻第二部を刊行し、その中で初めて、CIAによる対日工作の存在を公式に確認した。米政府は一九五八年から六八年にかけての一〇年間に、「日本の政治の方向に影響を及ぼそうとする秘密のプログラム」として「アメリカ寄りの数人の保守政治家への財政的支援」を含む四つの作戦の遂行をCIAに許可していた――。
 史料集の「編集ノート」の冒頭にそう書かれていた。


P.260


事実を詳細に明らかにして、それをもとに、何が望ましい姿なのかを議論する。それができるのはウォーゲート事件直後の今だけだ、とレビンソンは考えた。
「アメリカの外交政策を本当につくっているのはだれなのか、という疑問があります。米政府が企業を使っているのか、企業が政府を使っているのか。互恵的な関係があります。だれがだれを使っているのか。何が見返りなのか、あるいは、単に利害が並行しているだけなのか」
実際、こうした議論ができたのはウォーターゲート直後だけで、そのほかは後にも先にもない。


P.268


 七七年五月、英ロンドンで開かれたサミット(先進国首脳会議)で、米人統領のジミー・カーターや日本首相の福田赳夫らは「正常でない慣行や不正な行為が国際貿易、金融及び通商から排除されるべきである」「不正な支払の禁止についての国際的合意に向けて作業がなされていることを歓迎する」との首脳会議宣言をまとめた。 
 その暮れ、七七年一二月に、米議会は、外国公務員への贈賄を刑罰で禁止する海外腐敗行為防土法(FCPA)を制定し、力ーターは「賄賂は倫理的にあってはならず、競争上も不必要だと信ずる」との談話を出してこれを施行した。
 海外腐敗行為防止法について、レビンソンは「日本のロッキード事件は深い影響を与えました」と言う。「田中訴追がなければ、FCPA制定への政治的な動きは起きなかっただろうと私は思います」


P.269


 日本本では遅ればせながら一九九八年に不正競争防止法を改正して、外国公務員への贈賄を犯罪として処罰できるようにした。しかし、実際の摘発は極めて少ない。ブリデストン、オリンパスなど米司法省が摘発した事件であっても、日本の警察や検察が立件した事例はない。


P.270


チャーチ小委員会の記録は現在、米国立公文書館に所蔵されている。上院議会の規則で、五〇年は公開されないことになつており、ニ〇一六年時点でなお閲覧できない。


P.278


暴いた側と暴かれた側の双方を嫌った米政府首脳
 このように「虎の尾を踏んだ」説の主要な内容は根拠に欠けている。一方で、「虎の尾」説を支える状況証拠がいくつか存在することも確認できた。
 まず言えるのは、リチャード・ニクソンが大統領だつたから、田中が逮捕されることになった、ということだ。ニクソンがいなければ、ウォー夕―ゲート事件がああいうふうに拡大することはなかっただろう。ウォーターゲート事件の捜査がなければ、ノースロップ社のヤミ献金が表沙汰になることはなかっただろうし、上院や証券取引委員会の調査に米国民の支持が寄せられることもなかっただろう。米国で田中はニクソンと同類であるとみられた。
 また、ロッキードからカネを受け取った世界各国の政治家の中で、田中が真っ先に逮捕されたことの背景に、米国内でのロ社首脳の自白と米司法省の捜査協力があり、米国務省がその捜査協力を差し止めなかった事実がある。国務省の捜査協力容認の背景に、ニクソンの補佐官を務め、途中から国務長官になって、事実上、米政府の外交を取り仕切ったキッシンジャーの田中への軽蔑の念が少なからず影饗した可能性は否定できない。キッシンジャーは、政策ではなく、その人格の側面から田中を蛇蝎のごとく嫌っており、その意味で田中は米国の「虎の尾」を踏んでいたと言える。
 最近になって秘密指定を解除された国務省内部での会話の記録を見ると、キッシンジャーがもっとも痛烈な皮肉の言葉を浴びせていた先が日本の首相・田中角栄とチャーチ小委員会スタッフのレビンソンだつたことが分かる。ロッキード事件を暴かれた側と暴いた側の双方をキッシンジャーは激しく嫌っていた。


P.282


 中川はロッキード事件に関与しながらそれを国民の目から隠し通した。鈴木の言うとおりだとすれば、その後、中川は大きな弱みを内心に抱え、苦悩し続け、その結果、みずからを死に追いやった。
 ロッキード事件に関与しながらそれを秘密とするのに成功した中川ら政治家たちの、その後の苦しみを思うとき、私は暗然とする。ダグラス・グラマン事件についても同じような苦悩を抱えた政治家がいただろう。彼らが米政府によってその弱みを握られていると自覚しなかったはずはない。


 P.289


「米国の真相秘匿で政治生命を永らえた政治家が、かりに政権の座についたとき、米国に対して大きな負い:mを持ち、いわば首根っこを抑えられるおそれが出てくる」との懸念は払拭されただろうか。それが今の日本の立ち位置に影響していないと断定できるだろうか。払拭されていないし、断定もできない。
 四〇年を経たロッキード事件は今の私たちにそうした疑問を突きつけている。

【関連読書日誌】

“田中は何としても安保条約を通さなければいけない、軍備費用を復興に費さなければならない、日本の経済的な繁栄のためにも必要なんだといぅ信念を持っていた” 『決定版 私の田中角栄日記』 (新潮文庫) 佐藤昭子 新潮社

“こうした彼女の行動には、少女時代に軍国主義の操り人形とされた過去への、強い自責の念が感じられる。アラブ問題に強い国会議員を18年勤め、鶴見俊輔や三木睦子らとアジア女性基金を設立、民間レベルでも元従軍慰安婦問題解決に腐心したことは、重要である” 『過去への自責の念行動に 女優・李紅蘭を悼む』 四方田犬彦 朝日新聞 2014年9月17日

【読んだきっかけ】京都ふたば書房
【一緒に手に取る本】

冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相

冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相

“いまなら「不感症帯」 でぼんやりしていた実像が姿をあらわしてくれ るかもしれない。それがせめて数々の無念をこ の世に残して逝った父と母への鎮魂歌になって ほしい” 『父・伊藤律 ある家族の「戦後」 』 伊藤淳 講談社

父・伊藤律 ある家族の「戦後」

父・伊藤律 ある家族の「戦後」

私の世代の人間にとって。伊藤律という人は、1980年に突然現れた歴史の人であった。ある日、マスメディアのニュースの中にその名前が取りざたされ、中国から日本へ帰国した。戦後、中国で軟禁されてた人、日本共産党から除籍された人だという。だが、帰国した彼を迎えた家族は、ごく普通の市井の人たち。その家族の一人である息子さんによって書かれた、父の記録である。消えた夫を待ちつつ、子供を守り、育てた女性(伊藤律の妻、著者の母)の強さが何より印象に残る。
帯より

……父・伊藤律の「無罪」は、主として私以
外の多くの人たちの力によって完全に証明され
た。もはや私には付け足すものはなくなった。
ようやく気が楽になった。もし私にできること
があるとすれば、レッテルなどへの気兼ねや政
治的立場への配慮などもすることなく、肩の力
を抜いて、私が体験したこと、見たままのこと
を記すことではないか。いまなら「不感症帯」
でぼんやりしていた実像が姿をあらわしてくれ
るかもしれない。それがせめて数々の無念をこ
の世に残して逝った父と母への鎮魂歌になって
ほしい。そのなかには、近くにいる父とともに
過ごした最後の九年間のこと、その前後のこと
父の不在だったときの母の苦労のこと、とくに
父親が冤罪=濡れ衣を着せられた家族の一員と
して、息子として感じ考えたことも含まれるだ
ろぅ。いまをおいて私が発言する機会はないと
思った。(「はじめに」より)

第一部 父の帰還
 第一章 二十七年の空白の後で
  1 飛んできた野坂参三
  2 北京までの遠い道のり
  3 帰国をめぐる攻防
 第二章 帰国後の九年間
  1 日本共産党がしかけた“嵐”
  2 証言、そして反響
P.88

 父はしばらく考えているよぅすであった。かなり真面目な表情だった。
ダンテがねぇ、『神曲』のなかで言ってるんだよ。人びとをして言わしめよ、そして汝は汝の道を歩め、って。雑音は鳴らしておけばいい」
 みずからに言い聞かせるよぅな語り口だった。

  3 最期のとき
第二部 母と息子
 第三章 命がけで生きた母
  1 むしろ陽気そうな人
P.131

以降、律は一九四四年春に豊多摩刑務所に移されて終戦を迎えた。巣鴨時代には死刑判決を受けた尾崎秀実ともわずかながら話をする機会があった。そのやせ衰えた姿に胸を痛めたという。そのころ、キミと尾崎の妻・英子が夫たちへの面会について話し合っていたことは、「むすびに」の項でくわしく述べる。
 おそらく、律とキミの新婚当時のことであろぅ。堀田善衞の自伝的小説『若き日の詩人たちの肖像』(集英社文庫/下巻、一九七七年)のなかに伊藤律夫妻が登場する。

  2 遺された日記から
  3 決断と行動
P.170

さらに2010年になると加藤哲郎にょって米国国立公文書館にある川合貞吉ファィルから、川合がGHQから報酬をもらい情報を提供していたことが明らかにされた。川合は尾崎秀樹(おざきほつき)(尾崎秀実の異母弟)の後ろ盾となり、ゾルゲ事件での伊藤律スパイ説を戦後、広範囲に流布してきた人物であるが、詳細は渡部富哉『偽りの烙印』(五月書房、一九九三年)、加藤哲郎ゾルゲ事件』(平凡社新書、ニ〇一四年)にゆだねたい。

第四章 伊藤律の息子として
  1 父の青春
P.195

本富士署から連絡を受けた学校当局は律を放校処分にした。放校処分は、ほかの学校への再入学も許されない、退学、除籍よりも重い処分である。律が学内だけでなく学外の団体にも加入していたためであった。一九三〇年の一高入学者のぅち約三十名が中途退学者で、その七、八割が左翼活動による処分だったといぅ話もある。

  2 ー種の思考回避
  3 無条件の愛に
むすびに
参考文献
あとがき
P.252

 巨大メディアの功罪には大きいものがある。松本清張『日本の黒い霧』は『文藝春秋』連載後、刊行され、清張の名声もあって版を重ねて諸外国でも翻訳されている。
 それとともに「革命を売る男・伊藤律」も広く定着することとなつた。
伊藤律回想録』を出版した文春である。これとは正反対の文庫本についても、なんらかの善後策をとるのではないか……。いや、文春にとってドル箱の清張作品に手を加えるようなことをするはずはないのではなかろうか........。楽観と悲観のあいだを行き来しているうちに時間だけが経過してしまった。
(中略)
三回にわたる交渉の結果、文春側は、この作品の歴史的位置づけ、時代の制約について『伊藤律回想録』や『朝日新聞』の記事などから引用、スパイではないという証拠が出てきているという説明、『偽りの烙印』や『伊藤律回想録』等を参照してほしいという断り書きを添付した文庫本を作成し、現行の文庫本は回収すると回答した。

【関連読書日誌】

  • (URL)“その社会に生きている者が、あまりにどっぷり埋没していて俯瞰することができない、そういうときに、その社会の外から現地社会を相対化した像を見て、漠然と感じていた諸問題が、くっきりと見えてくる” 『「宗派は放っておけ」と元大臣は言った』 酒井啓子 みすず 2012年9月号C
  • (URL)“沖縄の悲劇は、沖縄の人々がどんなに抗議しても、日米間の政治家には届かないのだ。『運命の人』を書いた私は無力感にうちひしがれている” 『「大地の子」と「運命の子」』 山崎豊子 文藝春秋 2013年 01月号
  • (URL)“恐るべきは国家の犯罪である。弾劾さるべきは、理想に名を借りて犯罪を目的化した国家のイデオロギーである。” 『カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺』 ヴィクトル・ザスラフスキー 根岸隆夫訳 みすず書房

【読んだきっかけ】京都ふたば書房
【一緒に手に取る本】

伊藤律回想録―北京幽閉二七年

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偽りの烙印―伊藤律・スパイ説の崩壊

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日本の黒い霧〈上〉 (文春文庫)

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日本の黒い霧〈下〉 (文春文庫)

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ある歴史の娘 (中公文庫)

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お嬢さん放浪記 (中公文庫 M 7-5)

お嬢さん放浪記 (中公文庫 M 7-5)

“これは麻薬との戦争ではない。  これは貧者との戦争だ。  この戦争の標的は、貧しき人々、力なき人々、声なき人々、姿なき人々だ。あなた方は彼らを街角から、いとも簡単に一掃していく” 『ザ・カルテル (下) 』 (角川文庫) ドン・ウィンズロウ 峯村利哉訳 角川書店

カルテル』下巻。圧巻の最後。だけど先の見えない、現実。物語の最後でジャーナリストが残した手紙。悲痛な叫び。これが世界の現実だろう。小説ではあるものの、ノンフィクションとみなすのが妥当だろう。

2016.11.26追記(今日の朝日新聞の記事より)

メキシコ南部のゲレロ州シトゥララで、32人分の胴体と9人分の頭部が見つかった。AP通信や地元メディアなどが24日、当局の発表として伝えた。麻薬組織同士の抗争が激しい地域で、麻薬絡みのトラブルが関係しているとみられている。
 匿名の通報を受けた警察が22日から3日間、山中を捜索し、17カ所に埋められた胴体を見つけた。遺体の身元は判明していない。近くでは車数台が乗り捨てられており、警察は近くで誘拐されていた人も見つけ、救出した。近くの道路沿いでは先週、9人分の頭部が見つかっていた。
 シトゥララ周辺では、麻薬組織が対立する組織の関係者らへの誘拐や拷問などを繰り返し、過去2年間で150人が殺害されている。ゲレロ州全体では、今年1月から10月までに1832人が殺されたという。(ロサンゼルス=平山亜理)

あらすじ、続き。

捜査陣の中に、裏切り者がいる。選び抜かれたメンバーの誰が? 密かに調査を進めたケラーは、驚愕の事実に対峙する。そんな中、バレーラが次なる狙いと定めたシウダドフアレスでは、対立する勢力が衝突し、狂気と混沌が街を支配していた。家族が引き裂かれ、命と尊厳が蹂躪される。この戦争は、誰のためのものなのか。圧倒的な怒りの熱量で、読む者を容赦なく打ちのめす。21世紀クライム・サーガの最高傑作。解説・村上貴史

P.106

悪魔がそそのかせるのは、そそのかされたい人間だけ

P.192

 従来、覚醒剤は地元密着のビジネスとして栄え、パスタブで精製された商品を、主に暴走族のギャング団が売りさばいていた。しかし、参入した場合の利益の大きさにカルテルが気づき、メキシコ国内に巨大な合成工場を建て、北へ商品の出荷をはじめ、小売ビジネスも乗っ取った。まだフリーの売人もいるにはいるが、覚醒剤取引はほぼカルテルに支配されてしまった。

P.314

必要に迫られてのことだろうが、人間には驚くべき適応能力があり、これ以上ないほど異常な環境下でも常態を創り出せる。事実上の交戦地帯で生活し、絶え間なく脅威にさらされていても、小さな日常が積み重なって、普通の暮らしができあがっていくのだ。

P.391

 責任が大きければ大きいほど、“麻薬との戦争”には真剣に取り組めない。特にニ〇〇八年以降はな。世界金融危機の直後、流動性の源は麻薬マネーだけになった。麻薬産業を完全につぶせば、経済は息の根を止められてただ.Pう。〈ゼネラル・モーターズ〉を救うために仕方なくってわけだ。今はどうか? 莫大な麻薬マネーは、不動産市場と株式市場と新興企業を支えてるし、“戦争”そのものも大金を生み出してる。武器、航空機、偵察システム。刑務所の建設。財界がこの流れを止めさせると思うか?

P.395 第五部 浄化 The Cleansing

通常の場合、憎み合うふたつの集団のあいだで
も、相手に斬首や大量殺戮を行うような事態は
発生しない。政治指導層が権力闘争の手段とし
て、民族間の暴力を利用するとき、陰惨な事件
が引き起こされるのである。

ニューヨーク・タイムズ> ニ〇一四年六月十九日付

P.434

 バルセロナはヨーロッパの都市の中で、最も大きなイスラム人口を抱えている。いちばん多いのはパキスタン人だが、モロッコ人とチュニジア人の姿も目立つ。現地のアメリカ領事館内に秘密のテロ対策部門があることを、ケラーは知っている。部門設置の理由は、パルセロナを第二のハンブルクに、イスラム過激派の拠点にしないことだ。
 ビンラデイン殺害からまだ一年足らず。誰もが報復テロを懸念している。

P.446

 メキシコ政府は国内でカルテルが使用する武器うち九十パーセントがアメリカから持ち込まれていると主張するが、これは正しくない。カルテルの武器のほとんどは、中央アメリカ諸国の兵器庫から略奪されたものだ。しかし比率はともかく、米墨国境のこっち側に銃砲店がひしめき、向こう側にナルコがひしめいているのには、それ相応の理由がある。

P.517 物語の最後で殺されてしまうジャーナリストが、殺されることがわかっていた、最後に残した手紙。著者自身の叫びでもあろう。

 声をあげられない人々、声なき人々に代わって、ぼくは話をしたい。目に映らない人々、見ようとしても見えない人々、姿なき人々に代わって、ぽくは異議を唱え、腕を振りかざし、大声で叫びたい。貧しい人々。力のない人々。権利を奪われた人々。いわゆる“麻薬との戦争”の犠牲になった人々。殺人の被害者となった八万の人々。加害者として挙げられるのは、ナルコ、警察、軍' 政府、麻薬の買い手、銃の売り手、そして、“ニューマネー”をホテルやショッピングモールや郊外住宅団地の開発へ注ぎ込むタワーマンション住まいの投資家だ。
 ナルコから拷問され、焼かれ、皮をはがれた人々。兵士から暴行され、強姦された人々。警察から電気責めに、水責めにされた人々。ぼくは彼らに代わって話をしたい。
 ニ万を数えるみなしごたち。片親あるいは両親を失い、今までと違ぅ生活を余儀なくされる子どもたち。ぼくは彼らに代わって話をしたい。
 銃撃戦の流れ弾で死んだ子どもたち、親の巻き添えで死んだ子どもたち、母親の子宮から抉り出されて死んだ子どもたち。ぽくは彼らに代わって話をしたい。
 奴隸にされている人々、ナルコの牧場で強制労働をさせられている人々、無理やり闘わされている人々。人間ではなく利益を優先する経済制度に蹂躪されている人々。ぼくは彼らに代わって話をしたい。
 真実を語ろうとした人々。報道を伝えようとした人々。あなた方のしてきたこと、あなた方のしていることを指摘しようとした人々。ぼくは彼らに代わって話をしたい。しかし、あなた方は彼らのロと目をふさいだ。あなた方は彼らに語られたくなかった。あなた方は彼らに指摘されたくなかった。
 ぼくは彼らに代わって話をしたい。そして、あなた方に向かって話をしたい。豊かな人々、力を持つ人々、政治家たち、司令官たち、将軍たち。ロス.ピノスと連邦代議院。ホワイトハウスと米国議会。AFIとDEA。銀行家たち、牧場主たち、石油長者たち、資本家たち、そして、麻薬王たち。ぽくはこう言いたいー。
 あなた方は同じ穴の狢(むじな)だ。
 あなた方はみんなひとつのカルテルだ。
 あなた方は罪を犯している。
 殺人の罪、拷問の罪、強姦の罪、誘拐の罪、強制労働の罪、職権濫用の罪。しかし、いちばん重いのは無関心の罪だ。あなた方は、自分の靴で踏みにじっている人々を見ていない。彼らの苦痛を見ようとしないし、彼らの悲鳴を聞こうとしない。あなた方にとって、彼らは声なき者であり、彼らは姿なき者なのだ。彼らはこの戦争の犠牲になっている。そして、あなた方はこの戦争を永続化させている。彼らを虐げつづけるために。
 これは麻薬との戦争ではない。
 これは貧者との戦争だ。
 この戦争の標的は、貧しき人々、力なき人々、声なき人々、姿なき人々だ。あなた方は彼らを街角から、いとも簡単に一掃していく。足首にまとわりつく紙くずみたいに。靴底にへばりつく泥みたいに。

P.589 解説より

 麻薬を巡る彼の問題意識は、主に『犬の力』と『ザ・カルテル』に注ぎ込まれているわけだが、これだけの分量(合計で二二〇〇ページほどだ)を書いてなお、書き切っていないようである。2015年7月、彼はワシントン・ポストに政府及び大統領への公開書簡となる全面広告を掲載した。アメリカが四四年間も継続し、しかも未だ勝利を得ることができずにいる“麻薬との戦争”について、己の意見を掲載したのだ。ウィンズロウはこの戦争が失敗である以上に惨劇であり、無駄であるだけでなく誤りであったと述べ、"The answer is legalization"という結論を導いている。この結論が麻楽問題の解となるかどうかは一人一人が考えるべきであろうが、少なくとも『犬の力』『ザ・力ルテル』を読んだ方ならば、その結論をどこかしら“まっとう”と感じるだろう。ウィンズロウのこの二つの巨編では、アメリカが麻薬を非合法とし、それとの戦争に大金を注ぎ込みながらも、一方でアメリカは大金を支払って非合法な麻薬を購入し、それを愉しんでいる姿が語られている。麻薬との戦争に注ぎ込んだアメリカの金が、メキシコの腐敗を増進させ、メキシコ国内の争いを加速させ、麻薬商人だけでなく一般市民の命を
も奪い、麻薬の価格を高水準で安定させ、アメリカの武器商人を潤わせる様を描いているのだ。ウィンズロウが語る合法化というプランは、確かにこの既存の醜悪な経済システムを変えるであろう――そう思ってしまう。そう思わせるだけの力を、『犬の力』と『ザ.カルテル』が持っていることのあらわれであり、ウィンズロウの麻薬問題への怒りが、このニ作品では収まりきらなかったことのあらわれであろう。

【関連読書日誌】

  • URL)“早期平和実現プログラム、またの名をフェニックス作戦。へたな冗談だ。多くの人間が早ばやと平和な永い眠りへと導かれた” 『犬の力 上』  (角川文庫)  ドン・ウィンズロウ 東江一紀訳 角川書店
  • URL)“われわれは、南米のこの国で、ニ十億ドル近い金をかけて罌粟畑と子どもたちに毒を撒きながら、自国では、麻薬の毒から逃れたい人間を助けるだけの資金も持たないのだ”  『犬の力 下』 (角川文庫) ドン・ウィンズロウ 東江一紀訳 角川書店
  • (URL)“スーツに身を固めた連中は、理解しようとも認めようともしないが...............。  俗に言う“メキシコの麻薬問題”は、メキシコの問題ではなくアメリカの問題なのだ。  買い手なくして売り手なし。” 『ザ・カルテル (上)』 (角川文庫) ドン・ウィンズロウ 峯村利哉訳 角川書店

【読んだきっかけ】週刊文春書評『ザ・カルテル
【一緒に手に取る本】

“スーツに身を固めた連中は、理解しようとも認めようともしないが...............。  俗に言う“メキシコの麻薬問題”は、メキシコの問題ではなくアメリカの問題なのだ。  買い手なくして売り手なし。” 『ザ・カルテル (上)』 (角川文庫) ドン・ウィンズロウ 峯村利哉訳 角川書店

『犬の力』を読み終えたところで、最新刊の続編を一気に読む。(読んだのは半年くらい前)
カバーにあるあらすじから

麻薬王ダンバレーラが脱獄した。30年にわたる血と暴力の果てにもぎとつた静寂も束の間、身を潜めるDEA捜査官アー卜・ケラーの首には法外な賞金が賭けられた。玉座に返り咲いた麻薬王は、血なまぐさい抗争を続けるカルテルをまとめあげるベく動きはじめる。一方、アメリ力もバレーラを徹底撲滅すべく精鋭部隊を送り込み、壮絶な闘いの幕が上がる――数奇な運命に導かれた2人の宿命の対決、再び。『犬の力』、待望の続篇。

これは実話だとみてよい。メキシコ全体の地図が付与されていて、前作より読者に親切。
まず、なによりも衝撃的なのは、本文始まる前に書かれている献辞。3ページに渡り、131人の名前が書き連ねられており、本書は、彼らに捧げられている。そして、最後にこうある。

彼らは本書の物語が展開する時代に、メキシコで殺されたり“消え”たりしたジャーナリストの一部である。

P.46

 スーツに身を固めた連中は、理解しようとも認めようともしないが...............。
 俗に言う“メキシコの麻薬問題”は、メキシコの問題ではなくアメリカの問題なのだ。
 買い手なくして売り手なし。
 メキシコ国内に解決策は存在しない。未来永功。

【関連読書日誌】

  • URL)“早期平和実現プログラム、またの名をフェニックス作戦。へたな冗談だ。多くの人間が早ばやと平和な永い眠りへと導かれた” 『犬の力 上』  (角川文庫)  ドン・ウィンズロウ 東江一紀訳 角川書店
  • URL)“われわれは、南米のこの国で、ニ十億ドル近い金をかけて罌粟畑と子どもたちに毒を撒きながら、自国では、麻薬の毒から逃れたい人間を助けるだけの資金も持たないのだ”  『犬の力 下』 (角川文庫) ドン・ウィンズロウ 東江一紀訳 角川書店

【読んだきっかけ】週刊文春書評『ザ・カルテル
【一緒に手に取る本】

“われわれは、南米のこの国で、ニ十億ドル近い金をかけて罌粟畑と子どもたちに毒を撒きながら、自国では、麻薬の毒から逃れたい人間を助けるだけの資金も持たないのだ”  『犬の力 下』 (角川文庫) ドン・ウィンズロウ 東江一紀訳 角川書店

上巻に引きつづいて下巻。
あらすじ

熾烈を極める麻薬戦争。もはや正義は存在せず、怨念と年月だ
けが積み重なる。叔父の権力が弱まる中でバレーラ兄弟は麻薬
カルテルの頂点へと危険な階段を上り、カランもその一役を担
う。アー卜・ケラーはアダンバレーラの愛人となったノーラ
と接触、バレーラ兄弟との因縁に終止符を打つチャンスをうか
がう。血塗られた抗争の果てに微笑むのは誰か一。稀代の物
語作家ウィンズロウ、面目躍如の傑作長編。

アメリカ合衆国の大統領になるトランプ氏の言う、メキシコとの間に壁を作る、という話、単に不法移民の問題だけではないのである。
P.370

 麻薬戦争。人生のすべて賭けたこの戦いは、なんのためのものだったのか?
 数十億ドルを投じて、世界一抜け穴の多い国境から麻薬を締め出そうと図り、少しも成果があがらないことを嘆くためか? その巨額の麻薬対策予算の、十分の一を教育と治療に、十分の九を供給ル―トの遮断につぎ込むためか? それだけの大金をかけても、麻薬問題そのものの根本原因に切り込むには、まだ足りないのだ。あるいは、刑務所を麻薬犯罪者であふれさせ、その収監にさらに数十億ドルを費やしたうえに、殺人などの重罪犯をどんどん早期出所させるためか? そもそも、アメリカでの“非”麻薬犯罪の三分のニは、薬物やアルコールの影響下にある人間によって引き起こされるのだ。そして、それに対するわれわれの“解決”策は、相も変わらず、刑務所を増やし、警官を増やし、予算をさらに数十億ドル増やすこと。病気を治すどころか、対症療法にすらならない。貧困地区の住民のほとんどが、麻薬を断ちたいと思っても、治療プログラムを受けるだけの金を持たず、健康保険にも入っていない。補助金制度のある治療プログラムに参加するには、半年ないしニ年の順番待ちを強いられる。われわれは、南米のこの国で、ニ十億ドル近い金をかけて罌粟畑と子どもたちに毒を撒きながら、自国では、麻薬の毒から逃れたい人間を助けるだけの資金も持たないのだ。ゆがみきっている。
 麻薬戦争とは、野蛮な愚行か、愚かな蛮行か。いずれにしても、血みどろの悲惨な笑劇だ。

【関連読書日誌】

  • (URL)“早期平和実現プログラム、またの名をフェニックス作戦。へたな冗談だ。多くの人間が早ばやと平和な永い眠りへと導かれた” 『犬の力 上』  (角川文庫)  ドン・ウィンズロウ 東江一紀訳 角川書店

【読んだきっかけ】週刊文春書評『ザ・カルテル
【一緒に手に取る本】

B19 地球の歩き方 メキシコ 2017~2018

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メキシコ麻薬戦争: アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱

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物語 メキシコの歴史―太陽の国の英傑たち (中公新書)

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現代メキシコを知るための60章―エリア・スタディーズ91―

現代メキシコを知るための60章―エリア・スタディーズ91―

“早期平和実現プログラム、またの名をフェニックス作戦。へたな冗談だ。多くの人間が早ばやと平和な永い眠りへと導かれた” 『犬の力 上』  (角川文庫)  ドン・ウィンズロウ 東江一紀訳 角川書店

同じ著者の『ザ・カルテル』の書評で、前作『犬の力』と合わせて5点(満点)がついていたので読む。両方で上下冊、2000ページを超える大作となる。しかし、一気に読みと通す。フィクションでであるものの、メキシコ、アメリカの麻薬戦争の現実、史実を踏まえたもの。
 しかしながら、これほど大勢の人間が死んでいく著作ははじめてだし、これほど凄惨な拷問が日常的に行われていく物語も初めてである。
 だがしかし、これが現在、麻薬を取り巻く犯罪世界、というより錬金術世界の現実。それが人間の現実だと認識して、冷徹に受け止めておく必要があるだろう。
 ここに描かれている物語がリアリティをもって感じられるのは、史実ときちんと重ね合わせたわけでもないのにそう感じられるのは、次の二つのことからである。
 春から夏にかけてヨーロッパを中心にテロが頻発したこともあり、リオ・オリンピック前に、社内でテロ対策講習会が開催された。リオデジャネイロ市内には、警察の統治権の及ばない無法地帯があるとの説明。仕事で出張した人たちは、防弾ガラスの装備された車を利用したらしい。
 また、オリンピック後に、「ウサイン・ボルトリオ五輪中に麻薬王の未亡人と浮気」というゴシップニュースが流れた。真偽は定かでないが、この2作の物語で語られた世界そのものなのである。いかなる手段を使ってでも、抱き込んでいくのである。
見返しにあるあらすじから

メキシコの麻薬撲滅に取り憑かれたD E Aの捜査官アー卜・ケ
ラー。叔父が築くラテンアメリ力の麻薬カルテルの後継バレー
ラ兄弟。高級娼婦への道を歩む美貌の不良学生ノーラに、やが
て無慈悲な殺し屋となるヘルズ・キッチン育ちの若者カラン。彼
らが好むと好まざるとにかかわらず放り込まれるのは、30年に
及ぶ壮絶な麻薬戦争。米国政府、麻薬カルテル、マフィアら様々
な組織の思惑が交錯し、物語は疾走を始める一。

P.17

 コンドル作戦、か。
 メキシコの空で本物のコンドルが見られなくなってから、もぅ六十年以上経つ。合衆国では、それ以上だ。しかし、どんな作戦も、名前がなかったら現実のものとは感じられない。だから、コンドル。
 アートはこの鳥のことを、少し本で調べた。コンドルは世界最大の猛禽で、といっても小鳥や小動物を襲って捕食するより狩りの跡をあさるほぅを好む。大きなコンドルなら小型の鹿を仕留めるぐらいの力を持つが、得意なのは、ほかの動物が殺した鹿を、上空から舞い降りてかすめ取ること。
 われわれは死者を食いものにしている。
 コンドル作戦。
 またベトナムの情景がよみがえる。
 空から降ってくる死。

P.24

「『早期平和実現プログラム』……」
「はあ」早期平和実現プログラム、またの名をフェニックス作戦。へたな冗談だ。多くの人間が早ばやと平和な永い眠りへと導かれた。

P.27

ついでに教訓を得た。YOYO。
自分の道は自分で拓け(ユーア・オン・ユア・オウン)。

P.33

シナロアで、聖ヘスース・マルベルデの伝説を知らない者はない。大胆不敵な希代の義賊。貧より出でて貧に施す大泥棒。シナロアのロビン・フッド。ー九〇九年に命運尽き、絞首台の露と消えた。その刑場の真向かいに、現在、廟が立っている。

P.339

 差し出せるわけがない。
 この世に、そんなものはない。すべてを失った男――家族を、仕事を、友を、希望を信頼を、祖国への愛着を失った男には、誰も何も差し出せはしない。何者でもない男に差し出すものはない。

P.368

 八年前、メキシコを百数十年ぶりに正式のローマ・カトリック国に戻すという使命を帯びて、バチカンから派遣されてきた。1856年に制定されたレルド法で、教会所有の広大な農場や-土地が差し押さえられ、翌五七年の革命憲法で、教会は完全に権力を剥奪された。バチカンが報復措置として、憲法に忠誠を誓ったメキシコ人を全員破門にしたという経緯がある。
 一世紀以上にわたって、バチカンとメキシコ政府のあいだには、不安定な休戦状態が存在した。公式の外交関係は一度も復活しなかったが、制度的革命党ー一九二九年以来、一党独裁の疑似民主制でメキシコを支配してきた大合同政党――の最も急進的な社会主義者たちですら、信心深い農民の多いこの国で、教会を完全に廃止しようとはしなかった。聖職者の正装の禁止など、細かい制限は加えられたものの、政府はおおむね消極的な歩み寄りの姿勢を示してきた。

P.455

そこで、パコは電話をかけ直し、コヨーテ峡谷沿いの、国境にあたる古びた金網塀のところで受け渡しすることで話をつける。
 中間地帯(ノーマンズ・ランド)だ。

なんとも皮肉な話ではあるが、メキシコ現代史のテキストにもなるかも。
メキシコと言えば、学生時代に読んだ『メキシコからの手紙―インディヘナの中で考えたこと―』(1980年、岩波新書)が懐かしい。ラストが忘れられない。

黒沼ユリ子さんは、今は日本に帰国し、御宿にいらっしゃるらしい。
http://sonegoronet.jimdo.com/芸術-文化/黒沼ユリ子/

一九六一年の夏休みに待望のギリシャ旅行が実現。アテネでパルテノンの丘を眺めつつ、私は「ここがホメロス叙事詩『オッデュッセイア』の世界だったのか」と、感動に浸っていた。ところが隣に立つ「道案内人」は一言「ここから世界がひっくり返り始めたのだよ」と、はき捨てるように言うではないか。
 が、むろんその時の私にはその意味を理解できるはずもなかった。その約十年後、メキシコ北東部のシエラ・マードレ(山脈)の山奥の村で、まるで現代文明から忘れ去られたような生活しかできない人々の間で暮らすことになるまでは…。(拙著「メキシコからの手紙」=岩波新書=参照)

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【読んだきっかけ】週刊文春書評『ザ・カルテル
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メキシコの輝き―コヨアカンに暮らして (岩波新書)

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“田中は何としても安保条約を通さなければいけない、軍備費用を復興に費さなければならない、日本の経済的な繁栄のためにも必要なんだといぅ信念を持っていた” 『決定版 私の田中角栄日記』 (新潮文庫) 佐藤昭子 新潮社

決定版 私の田中角栄日記(新潮文庫)

決定版 私の田中角栄日記(新潮文庫)

ちょっとした角栄ブームということもあり、書店に関連本が並びだした頃、ブームとはまだ気がつかずに手に取った1冊。もちろん、著者がどういう方かは知った上で。立て続けに、本書を含め3冊を読む。他の二冊は、
田中角栄伝説 (光文社知恵の森文庫)

田中角栄伝説 (光文社知恵の森文庫)

なかなかいい選択であったように思う。かつて読んだものに、
淋しき越山会の女王―他六編 (岩波現代文庫―社会)

淋しき越山会の女王―他六編 (岩波現代文庫―社会)

田中角栄にとって堪えたのは、立花隆による金脈を扱った「田中角栄研究」よりも、文芸春秋の同じ号に掲載された児玉による「淋しき越山会の女王」であったと言われる。
P.14

「人間五十年
 化転のぅちを較ぶれば
 夢幻のごとくなり」
と、『敦盛』を好んで舞つた信長的なものを、私は田中にだぶらせていた。田中がある時相川音頭に合わせて舞つたことがあった。僅かな人生にー生を燃焼させる男舞に、これは武士の舞だと田中は説明した。

P.37

「きょうは二月二十三日か。また君のお母さんの祥月命日だなあ。ほんとに不思議な因縁だ。俺と君が初めて会ったのもお母さんの命日だったし、こうして会えたのは、死んでも死に切れないで君のことを心配していたお母さんが俺に君を託したんだよ」
 それから三十年余、田中は毎年ニ月ニ十三日には必ずニ人だけの食事にさそってくれた。病気で倒れるまで、一年も欠かすことなく。

P.45

後の話になるが、田中は若い議員連中が来るたびに、地方のことは県会議員に任せればいい、君たちは立法府の讓員なのだから議員立法をしなさいとすすめた。そうすればうんと勉強になるし、それが何よりの選挙運動にもなるんたと。
「やり方がわからなければ、俺の持ってる知恵を全部貸してやる」
そう何回も言ったけれど、
「いやあ、オヤジさんは天才だからできるけど、俺たちはそんな力がない。選挙区通いをして、落選しないように運動するのが先決てす」
と言うばかりで、誰も本気で取り組もうとしなかった。結局、国会議員議員立法に取り組まなくなったことが、官僚依存で政治家を怠惰にし、自らを選挙屋に貶めてしまったのだ。

P.48

初めての外遊の時を別にすれば、田中から口紅ひとつプレゼントされたことがない。
 口紅と言えば、プレゼントされるどころか、田中は口紅やお化粧が大嫌いだった。

P.58

田中は何としても安保条約を通さなければいけない、軍備費用を復興に費さなければならない、日本の経済的な繁栄のためにも必要なんだといぅ信念を持っていた。

【関連読書日誌】

【読んだきっかけ】本屋さんで手にとって
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田中角栄 昭和の光と闇 (講談社現代新書)

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田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)

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田中角栄 人を動かす話し方の極意

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決定版 私の田中角栄日記 (新潮文庫)

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田中角栄を葬ったのは誰だ

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田中角栄研究―全記録 (上) (講談社文庫)

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田中角栄研究―全記録 (下) (講談社文庫)

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“戦争とは、このように無差別殺人に発展することも多い。  そしてその戦争の始まりとは、つまりは政治の失敗なのだ。” “私は「南京事件」という舞台で衝突していたのは「肯定派」と「否定派」だと思っていた。 しかしその真の対立構図は「利害」と「真実」だったらしい。” 『 「南京事件」を調査せよ』 清水潔 文藝春秋

「南京事件」を調査せよ

「南京事件」を調査せよ

南京事件南京大虐殺ほど、否定、肯定さまざまな論説が姦(かしま)しい事項はないだろう。うっかり誤った導入をうけると、間違った先入観と知識を持ってしまう。成書も清濁たくさんある。その中で敢えて本書を手にとった理由は何か。著者が清水潔だからである。長らく、調査報道に関わり、『桶川ストーカー殺人事件―遺言』(新潮文庫)、『殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件』(新潮文庫)などの著者でもある。
 病床で「中国人ってやつはどうしようもない」と言った著者自身の父の言葉、日清、日露戦争に従軍した祖父のこと、中国人留学生との会話など著者自身の体験も加えながら、「戦争」を語る。
 見返しから

戦後70周年企画として、調査報道のプロに下されたミッションは、77年前に起きた「事件」取材だった。「知ろうとしないことは罪」ー心の声に導かれ東へ西へと取材に走り廻るが、いつしか戦前・戦中の日本と安保法制に揺れる「現在」がリンクし始める……。伝説の事件記者が挑む新境地。

まえがき
P.4 奇しくも、ノーベル平和賞受賞の報を聞いたばかりの、ボブ・ディランの引用

「俺にとっては右派も左派もないあるのは真実か真実でないかということだけだ」
 ボブ・ディランの言葉だが、振り返れば私の記者人生はまさにこれだった。
 政治、思想に興味はない。事件記者として多くの現場を踏み、雑多な事件に関わってきた。殺人犯探しや冤罪事件の証明などの面倒な取材に関わって35年を超えた。

第一章 悪魔の証明
 日本人がそんなことをするはずがない・「これは相当に難しい」・真夏の「南京大虐殺記念館」・一次資料にあたれ
第二章 陣中日記
 銃剣ニテ思フ存分ニ突刺ス・黒い革張りの日記・兵士たちの聞き取り映像・戦後70年「報道の公正中立」・うつ伏せで倒れし人々・ここで彼は何を見たのか
P.83 なぜ陣中日記をあつめはじめたのか

 三十代の頃、たまたまある8ミリ映画を見る機会があった。
 それは日本軍の戦争や侵略などを扱ったものだったが、その中で「南京虐殺」に触れられていた。興味を持って調べ始め、自分が住む県内から南京戦に参加した六十五聯隊の存在がわかったといぅ。
 それにしても、ょくもこんな日記を他人である小野さんに預けたものである。
「日記を見せてくれる人は、不思議なんだけど共通点があるんですよ。経済的に.恵まれていて、現在の生活に余裕があって……、そしてこれが重要ですけど、家族関係がうまくいっている人なんです」

第三章 揚子江の惨劇
 「俺は絶対にこれは見せられない」・謝罪を続ける宿命・12月16日将校の笛で火を吹いた機銃・12月17日人柱は丈余になってはくずれた
P.145 歴史問題Q&A 外務省のページ

このサィトには「慰安婦問題に対して」なども含まれており、談話が出された日に消えたことで得体の知れない不気味さが走ったのだが、結局9月に入ってから再開される。そして「南京事件」の項目にはこの一文が付け加えられた。
〈こうした歴代内閣が表明した気持ちを、揺るぎないものとして、引き継いでいきます。そのことを、2 015年8月14日の内閣総理大臣談話の中で明確にしました>
 つまり「南京事件」については安倍総理自身が追認したといぅことになるのだが、同時にある項目が消滅していたのだ。これについては、後で触れたい。

第四章 兵士たちの遺言
 「南京事件って本当にあったんだ」・「間違いなく捏造だと思つています」・数多い戦争中の虐殺事件・そこにどんな理由があつても
P.198

 戦争とは、このように無差別殺人に発展することも多い。
 そしてその戦争の始まりとは、つまりは政治の失敗なのだ。
 結果、殺されるのはいつも弱者であり、殺すのは命を受けた者だ。
「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。殺人は数にょって神聖化される」チャップリンが残したと言われている言葉だ。
 いくら考えても、結局、理屈では理解できないのが戦争における殺戮行為たろう。
 だから「そんなことがあるはずない」と、感情から否定されることもまた多いのかもしれない

第五章 旅順へ
 東京湾の要塞群・スマホとコーヒー・「中国人ってやつは、どぅしょうもない」・旅順の虐殺を知っていますか?・日露戦争と二つの墓
P.228 ウエイトレスの珈琲を浴びてしまった中国人留学生の歴史

 なのに、なぜ私はこの小さな「事件」にひっかかったのか。
 答えは薄ぼんやりと見えていた。
 2002年、北京行きの機内で中国人の客室乗務員から水を浴びた時の自分の感情があるからだ。あの時、自分は何をどう考えたのか?
 中国人は「どうしょうもない」と感じたのだ。
 ならば、日本人から熱いコーヒーをかけられて中国人はどう感じるのか。それを聞いてみたかったのだ。そこにも私の探している「何か-があるような気がしたからだ。

P.237 1933年国際連盟脱退

その産業立国の基本設計をしたのが満州国国務院の高級官僚であった岸信介。つまり安倍総理の祖父である。「満州国は私の作品」と言うほどに力を注ぎ、巨大ダム建設、電気、ガスの敷設、炭鉱、製鉄所の設立を推し進めたという。
 「大規模な農地開発をしたんですょ。日本列島の半分以上にもあたる農地です。政府は満州を『王道楽土』と宣伝し、日本から27万人の農民たちを『満蒙開拓団』として移住させた。まあ開拓といっても、大半はもともと中国の農民の土地だったんですがね……」青木氏はビールのグラスをぐいつと呷つた。

P.240

近くまた中国へ行くかもしれない、旅順へ……。私が、徐さんに話した時のことだった。地名に反応した彼女は意外な言葉を口にした。
「旅順でも日本軍にょる虐殺があったことを知っていますか?」
 虚を突かれた……。
「中国では、南京虐殺と旅順虐殺の二つを学校で学ぶのです。日本の軍国主義が起こしたニつの虐殺として。だから私は大連大学にいた時、旅順に行ってみました。大都市の南京とは違って小さな漁村で、村ごと全部日本兵に殺されて、残った人は死体の片付けをさせられた。とてもかわいそう……」
 それは「日露戦争」からさらに10年遡る「日清戦争」での出来事だった。
 「旅順大虐殺(リューシュンダートウシャ)」と呼ばれているという……。

終章 長い旅の終着
 じいさん、あんたそれで良かったのか?
P.261 南京事件は捏造だと公言する、原田義昭自民党議員

「私ども日本人としてのね、浮かばれないというか、国益を明らかに害されたまま、国民がで
すよ、国際社会の中で顔向けできないようなことになっているのではないかな、と思っていま
す」
国益
顔向け。
私は「南京事件」という舞台で衝突していたのは「肯定派」と「否定派」だと思っていた。
しかしその真の対立構図は「利害」と「真実」だったらしい。
むろん、国益を守るのも政治家の仕事であろう。

P.270

戦後70年。
外務省のサィトが更新された日、消し去られた文言とはいったい何だったのか……。
〈日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略にょり、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを素直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家としての道を歩んでいく決意です。〉

あとがき
P.273

「爆買い」「爆食」「爆泊」……、中国人の行為だけに付加される形容詞。そこにもまた「南京事件」などの侵略行為へと突き進んでいった遠因や、過去を隠蔽しようとする理由のひとつがあるかもしれない……、などとも考えさせられた旅だった。
 可能な限り、自分に潜む歪んだ内面と向き合ったのが終章だ。
 けれど、取材で知り合った中国人たちは私のつまらない偏見など粉砕する力を持っていた。メールをくれた馬さんもそぅだったし、大学院生の徐さんもだ。日本人、中国と区別してから考えるその愚かさを痛烈に思い知らせてくれた。
 知ろうとしないことはやはり罪なのだ。

P.275

NNNドキュメント南京事件兵士たちの遺言」は、「平和•協同ジヤ―ナリスト基金賞『奨励賞』」、「ギヤラクシー賞テレビ部門優秀賞」「メディア•アンビシヤス賞」「放送人の会・準グランプリ」など多くの賞を頂いた。事実の証明に苦労した放送だったので、その観点から見ればこれらの受賞はそれを後押ししていただけたようで嬉しく思う。

参考文献
【関連読書日誌】

  • (URL)“自分の目で見る。 自分の耳で聞く。 自分の頭で考える−。 言葉にすると、当たり前のことのように思えるかもしれないが、他に方法はない。 これこそが現代に必須な「レーダー」なのだ。氾濫する情報に対して“防波堤”を持たすに巻き込まれるのではなく、自らの判断で「何が本当で、何が嘘なのか」を判断することが重要なのだ” 『騙されてたまるか 調査報道の裏側』  (新潮新書) 清水潔   新潮社
  • (URL)“物は何も語りはしない。  しかし雄弁にもできる。  真実を語らすことも、嘘に利用することも。” 『桶川ストーカー殺人事件―遺言』  (新潮文庫) 清水潔 新潮社
  • (URL)“「一番小さな声を聞け」というルールに従うなら、この場合、被害者遺族がそれだ。手紙を書き、末尾に自分の携帯の番号を書き入れてポストに入れた。私は手紙ばかり書いている” 『殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』 清水潔 新潮社

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戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗

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“国家が選択を行うとき、指導者が行う選択がこの分かりやすい良識を反映するものであるとき、広島の教訓か生かされることになります。” オバマへの手紙 ヒロシマ訪問秘録 (文春新書) 三山秀昭 文藝春秋

オバマへの手紙 ヒロシマ訪問秘録 (文春新書)

オバマへの手紙 ヒロシマ訪問秘録 (文春新書)

オバマ大統領がまだ民主党候補の一人に過ぎなかった頃、オバマがいかに優れた候補であったかという論説を読んだことがある。すなわち、大統領としての職務を担うべくいかに研鑽を重ね、準備をしてきたか。
そのことは、今NHKBSで放映中の『オバマホワイトハウスオバマケア” 』(原題:Inside Obama’s White House Obamacare
制作:国際共同制作 Brook Lapping/Les Films D’ici/ NHK/BBC/ARTE France(イギリス 2016年))を見てもよくわかる
http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=161019
見開きより

オバマへの手紙 ヒロシマ訪問秘録 (文春新書)
ついにアメリカの現職大統領が被爆地・ヒロシマを訪れた。この歴史的快挙の裏には、ケネディ駐日大使、ケリー国務長官、岸田外相の「三人のK」の連携と、広以市民の「謝罪を求めない」心があった。裏方として尽力した現地メディア社長による秘話満載のルポルタージュ

著者は、読売新聞記者、ワシントン特派員、政治部長、経理局長などを経て、広島テレビ放送社長。オバマ大統領が広島へきたことの意味、価値を改めて認識。演説全文の、英語原文、公式和訳が付録としてつく。
プロローグ
P.7 「三人のK」

 オバマの広島訪問の道を切り拓き、政治的に編み込んだ功労者は、第一にキャロライン•ケネディ大使だ。彼女の経歴や父• J • F •ケネディ大統領から引き継いだ核軍縮への熱い思いは説明する必要もなかろう。彼女は、父がテキサス州ダラスで凶弾に倒れたあと、一九七八年に叔父のエドヮード•ケネディ上院議員とともに平和記念公園を訪れた。まだ学生の時だ。感受性の強い時に受けた印象は父の遺志とも重なった。また、オバマはJ.F.Kを知って政治の道に進んだ。そのことを知るケネディ大使は、ニ〇〇八年大統領選の指名争いの早い段階で「オバマ支持」を明確にして流れを作り、ニ〇一三年秋に駐日大使として着任してからは大統領の広島訪問の実現に邁進した。
 第二の功労者はジョン•ケリー国務長官ベトナム戦争に従軍した経験から、「反戦」に傾倒し、オバマ政権の二期目からは国務長官として、やはり歴史的なキユーバとの国交回復に道筋を付け、限定的ながらイランの核開発を阻止した。ケネディ大使とともにオバマの心を早くから汲み取り、一年以上前から、G7外相広島会合の際、原爆慰霊碑に献花することを岸田文雄外相に伝え、英、仏の核保有国を含むG7外相全員を献花へと先導し、大統領の広島訪問の露払い役を果たした。
 三人目はその岸田外相だ。まさに平和公園がある広島一区選出の代議士で、第二次安倍政権以降は一貫してて外相の任にあり、地道に裏で汗をかきながら広島とワシントンというデリケートな街に政治的なブリッジを架け、ケリー、ケネディとの長く深い親交を活用しながら、歴史的なオバマ訪問を組み立てた。
 この「三人のK」こそが、オバマ広島訪問の功労者だ。

第一章 アメリカにおけるヒロシマ
第二章 ヒロシマのアメリカ感
P.30 3・11 広島が行ったサポート

この時、広島は、他のどの県も行わなかったサボー卜をした。民間の有志が集まり、資金集めをして、すでに絶版となっていた『原爆市長ヒロシマとともに二十年』という本を、サブタィトルを「よみがえった都――復興への軌跡」と変更して復刻し、東北三県
の自治体などに寄贈したのだ。それは甚大な被害の前に打ちひしがれ、心が折れ、何から手をつけてよいか迷っていた各自治体の長や企業経営者に対し、勇気を与えた。

P.38 なぜ広島にはお好み焼きやが多いのか

「戦争未亡人説」はどうも納得できず、お好み焼きのソースで有名な「オタフクHD」の佐々木茂喜社長に取材したら、意外な答が返ってきた。
「戦争未亡人説はよく言われる俗説です。ご承知のように、広島も近くの呉にも機械製作所、造船所、軍事関連施設があり、それが空襲や原爆で灰燼になった。このため、そこら中に鉄板が散在しており、誰でも拾ってくることが出来た。戦前から一銭洋食という食堂はあったが、鉄板を下から練炭で熱すれば、街頭で屋台食堂が出来た」
「材料は?」
「そこがポイントなんです。鉄板と練炭だけではお好み焼きが出来ません。実はGHQメリケン粉(小麦粉)を広島に重点的に配給してくれたのが大きいんです」
「なるほど」
「戦争未亡人説が広く言われていますが、『みっちゃん』という店の名前は女性の名前ではなく、『満夫』で男性ですよ」

第三章 「広島にきてほしい」と言う前に
第四章 「平和へのひと筆」
第五章 オバマへの手紙第一便
第六章 ホワイトハウスへの直訴第一弾
第七章 「伊勢志摩」サミットに決まる裏ストーリー
第八章 ホワイトハウスへの直訴第二弾
第九章 「オバマへの手紙」特別版 被爆米兵と森重昭さん
第十章 G7外相広島会合でのハプニング
第十一章 直前までの激しい綱引き ケネディとライスのバトル
P.148 被爆遺品を見て「powerful」と

 当日は大統領の資料館滞在時間は十分間だったが、十二歳で白血病で亡くなった佐々木禎子さんが「折鶴を折ると病気が治る」と信じ続けた折鶴と被爆者で文化勲章受章者の平山郁夫氏の絵画を見て、説明を聞き、芳名録に記帳し、あらかじめ「少し助けてもらって」折ってきた四羽の折鶴をその場にいた小中学生に渡した。
 実は日米政府とも今日なお、公表していないが、被爆遺品の代表ともいえる、ご飯が原爆の熱で黒焦げになった弁当箱も大統領は見ていた。
「powerful」(心を動かされた)
 大統領は岸田文雄外相の説明にうなずきながらこんな言葉をつぶやいたといぅ。

第十二章 十七分間の広島スピーチ
P.153

 大統領は演説の後半部分で、このように再度、米兵捕虜の遣族を会社勤めの傍ら、独力で探してきた森さんのことに触れた。
「アメリカ大使館から大統領の演説の場に出るよう前日に連絡をいただき天地がひっくり返るほど驚きました」
森さんはこう話して会場入りし、指定された席の位置に驚いた。
「大統領のスピーチを遠くから聞くのだろうと思っていました。ところが最前列なのです。知事や市長よりも上席だったので大変驚きました」

第十三章 残されたもの
第十四章 「あとがき」ではなく「無題」
付録 ヒロシマナガサキの7つの?
 「原爆はパラシュートで落とされた」のではない。調査機材を載せたパラシュート3つを投下
 長崎に投下された原爆「ファットマン」にはアンテナが装備されており、これは日本製八木アンテナ
 想定外だった原爆症
 原爆ドームは楕円形。チェコ人ヤン・レッツェル設計
 被爆から15年後の1960年、原爆症で亡くなった16歳の少女による日記に「あの建物だけが、いつまでも恐るべき原爆のことを後世に伝えてくれるだろうか」と書いていたことが分かり、世論は保存に大きく傾き、1966年市議会が永久保存を決定、1996年ユネスコ世界遺産に登録された。
オバマ大統領の演説の最後

 国家が選択を行うとき、指導者が行う選択がこの分かりやすい良識を反映するものであるとき、広島の教訓か生かされることになります。

 この地で世界は永遠に変わりました。しかし、今日この町に住む子どもたちは平和な中で一日を過ごします。なんと素晴らしいことでしょう。これは守る価値があることであり、全ての子どもに与える価値かあることです。こうした未来を私たちは選ぶことかできます。そしてその未来において、広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たち自身が倫理的に目覚めることの始まりとして知られるよぅになるでしょう。

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マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝

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生声CD付き [対訳] オバマ演説集

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ヒロシマに来た大統領: 「核の現実」とオバマの理想 (単行本)

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CD2枚付[完全保存版]オバマ大統領演説

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“野生動物を飼う際は、動物がその動 物らしく、幸福感を感じて暮らせるようにしなければならないということ。そして、 命を継代できるようにしなければならないということです。そのためには、近親交 配を避けて遺伝的多様性を維持することが重要です。これらの覚悟がなければ、 絶対に野生動物の飼育に手を染めてはいけません” 『もしもあの動物と暮らしたら!?』 小菅正夫 新星出版社

もしもあの動物と暮らしたら!?

もしもあの動物と暮らしたら!?

これは、名著! かの有名な、北海道旭山動物園を再生した、前園長、小菅正夫氏の手になる一書。
動物園の動物をお家で飼うための手引き書、という体裁。
動物のくわしいデータでは、名前、分類、生息地、生活形態、食べもの、平均寿命、生息数、保護、価格、大きさ・体重、が書かれており、飼育方法では、Come(お迎え)、Living(生活環境)、Food(食事)、Enrichment(遊び)が丁寧に書かれている。
 それで最後に、飼えるか、飼えないかの結論も記載。わかりやすい!
ちなみに、飼えません、と結論されている動物は、ホッキョクグマジャイアントパンダレッサーパンダ、チーター、ゾウ、コアラ、シマエナガ
 で「飼えます」という動物は、なんと、ライオン、キリン、リャマ、ニホンザル、シマウマ、キツネ、モグラ、フクロモモンガ、ペンギン、ゴマフアアザラシ、ネズミイルカ、カピバラ、コツメカワウソ、メガネカイマン、カメ、アカハライモリシマフクロウ、フラミンゴ。
 飼えない理由は、法律で禁止されていたり、入手が困難なもの。それ以外は、しかるべき手段をとれば飼える!フラミンゴの輸送中の注意事項までかかれている親切さ。
「はじめに」の全文。

日本にはたくさんの動物園があり、ゾウやキリン、カバ、ライオンなどアフリカの野生動物をはじめ、オーストラリアのコアラやカンガル一、アマゾンのカピバラなど、世界各地を代表するさまざまな動物が飼育されています。私たちは子どものころから、動物園へ行けば世界中の野生動物を見ることができます。なかには、飼育係が動物のお世話をしているようすを見て、「自分にぴったりの仕事かも」「楽しそう!」と思われるお子さんも多いようです。実際、動物園へ相談に来る親御さんもおられました。飼育係の夢は諦めても、いつの日か我が家で夢に見た動物を迎えていっしょに暮らしたいと思われる方もいらっしゃると思います。本書は、そんな方々の夢が叶って「もしもあの動物と暮らす」ことになったら、どういった準備が必要で、どのような設備が必要なのか、飼育に関する法律はどうなっているのかなどを解説し、動物を飼育する基本的技術を紹介しています。ひとつ覚えておいていただきたいのは、野生動物を飼う際は、動物がその動物らしく、幸福感を感じて暮らせるようにしなければならないということ。そして、命を継代できるようにしなければならないということです。そのためには、近親交配を避けて遺伝的多様性を維持することが重要です。これらの覚悟がなければ、絶対に野生動物の飼育に手を染めてはいけません。そこがペットとの大きな違いといえるでしょう。もちろん、途中で飼育を放棄することはできません。動物園では、万が一自然界で野生動物が絶滅した場合、その動物の生息環境が整えられたら、飼育している動物を自然界に復帰させる目的を持って飼育しています。もしも、あなたが野生動物を飼育する機会を得たら、あなたも世界の動物園と協力して、飼育している動物の野生個体群の維持に対する責任を有することになるでしよう。
小菅正夫

【関連読書日誌】

  • (URL)“自然の中での一番のルールは人間の痕跡を残さないこと” 『きのこのほん』 鈴木安一郎(すずきやすいちろう) ピエブックス
  • (URL)“はっきりさせておきたい。教育スキルを上げようとしてわざと感染してきたわけではないのだ” 『寄生虫のはなし わたしたちの近くにいる驚異の生き物たち』 ユージーン・H・カプラン 篠儀直子訳 青土社

【読んだきっかけ】私の母が私の息子にお土産として、著者のサイン入り
【一緒に手に取る本】

どうぶつたち

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マネジメントは動物園に学べ 2015年5月 (仕事学のすすめ)

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「旭山動物園」革命―夢を実現した復活プロジェクト (角川oneテーマ21)

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僕が旭山動物園で出会った 動物たちの子育て

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戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語 (中公新書)

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“「伝える仕事」に携わるほとんどの人が、ずっと「露出を増やす発想=露出脳」の習慣が長かったので、なかなかそこから抜けられない” 『明日のプランニング 伝わらない時代の「伝わる」方法 』 (講談社現代新書) 佐藤尚之 講談社

広告マーケティングのプロによる本。ヤンキー経済という言葉は知らなかった。
P.14

マイルドヤンキー、もしくは新ヤンキーと呼ばれる人たち
2014年、『ヤンキー経済』といぅ本が広告業界で話題になつた(原田曜平著/幻冬舎新書)。
「ファッションも精神もマイルドな新ヤンキー」を「マイルドヤンキー」と名付け、その日常と消費行動を追ってうる本である。
 そして、「彼らは『若者がモノを買わない』時代、唯一旺盛な消費欲を示している」と書かれている。「伝える仕事」に携わるボクたちにとって無視できない存在だ。
 この分野は、いくつかの本で研究されつつぁるが(注13)、実はまだくわしくは研究されていない。いままで社会学者の視野に入っていなかつた、というのが現実かと思う

注13で紹介されるおすすめ本

ヤンキー文化論序説

ヤンキー文化論序説

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

第1章 「情報“砂の一粒”時代」がやってきた 「伝える仕事」に携わる人にとって超アゲンスト
第2章 忘れちゃいけない! 情報“砂の一粒”時代「以前」を生きる生活者たち
P.80

テレビ局も、調子のいい局は「年収300万円の人たち」にフォ―カスしてます。
トレンディだつたり総中流を狙つたりするのではなく、ヤンキー一家みたいなところにフォーカスしたことによつて、視聴率がとれてきています。

P.90 砂一時代以前の生活者にとって、新聞、テレビはいまだ重要なメディア!

 いや、何が言いたいかというと、マスメディアの終焉だとか、メディアの強弱だとかを安易に語らないほうがいいのではないか、といぅことだ。
 あまりに安易にテレビや新聞を否定する人が多いが、伝えたい相手が砂一時代以前の場合、いまでも超強力なメディアなのである。
 え? 雑誌やラジオはどうかつて?
 雑誌やラジオは、むしろ「砂一時代」によく効くメディアだと思う。
 そう、ネットを日常的に使う生活者に対してである。
 なに馬鹿なことを言つてるんだ、雑誌やラジオはネットに取つで代わられるに決まつてる!と思われる方も多いかもしれない。

第3章 友人という最強メディア 砂一時代という超アゲンストに打ち勝つ方法
第4章 ファンベースとマスベース 砂一時代と砂一時代以前でプランニングを切り分ける
P.149

砂一時代と砂一時代以前とでは、完全にアプローチが違う
 2005年以前は、情報は喜ばれ役に立つものだった。
 だから、邪魔だろうが強制的だろうが、とにかく情報を生活者に届けさえすれば、興味関心なくても、生活者は比較的受けとってくれた。
 その情報で「笑顔」になってくれていたのである。
 しかし、2005年以降はガラリと変わる。
 情報“砂の一粒”時代に突入していくからだ。
 146ぺージ図14の右仰を見てほしい。
 砂一時代に突入し、情報はもうありすぎてうざいものとなった。
 興味関心がない情報なんていらないものの最たるものゆえ、生活者は基本スルーする。
 広告は特にうざい。

P.165

 いままで伝える仕事に携わっている人は「フアンの外側にいる人」、つまり、まだファンンになっていない大勢を狙うのが仕事だった。
「新規顧客」を取り込むのが、マーヶティングの目的だったのである。
 でも、砂一時代の生活者においては、そぅはいかない。
 ファンべースで考えなければいけないのである。

第5章 ファンにアプローチする方法 砂一時代の生活者にどうリーチするか
第6章 ファンからオーガニックな言葉を引き出す七つの方法 砂一時代の生活者が態度変容するオーガニックリーチ
P.203

(A)社員といぅ「最強のファン」の共感を作る。
(B)ファンをもてなし、特別扱いする。
(C)生活者との接点を見直す。
(D)商品自体を見直す。ファンと共創する。
(E)ファンを発掘し、活性化し、動員し、追跡する。
(F)ファンと共に育つ。ファンを支援する。
(G)ファンとビジョンを分かち合ぅ。

Aにおけるおすすめ本

顧客が熱狂するネット靴店 ザッポス伝説

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エンパワード~ソーシャルメディアを最大活用する組織体制 (Harvard Business School Press)

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ソーシャルシフト―これからの企業にとって一番大切なこと

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Bにおけるおすすめ本
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Cにおけるおすすめ本
真実の瞬間―SAS(スカンジナビア航空)のサービス戦略はなぜ成功したか

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顧客が熱狂するネット靴店 ザッポス伝説

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Eにおける参考書
アンバサダー・マーケティング

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グランズウェル~ソーシャルテクノロジーによる企業戦略 (Harvard Business School Press)

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P.248

(G)フアンとビジヨンを分かち合う。
 さて、最後は主に「CSV」の話である。
 CSVとは「Creating Shared Value」の略で、訳せば「共通価値の創造」であろうか。
そう、小難しい。
すっごく簡単に言うと「企業が、慈善活動的に社会貢献活動をするのではなく、ちゃんと利益を出しながら、社会的な課題を解決する活動を(生活者とともに)する」ということだ。

P.257

 つまり、この7つの方法を砂一時代の生活者に向けてすることは、砂一時代「以前」の生活者に対しても無駄にはならないということである。
 二極化した生活者の両方に効果があるということだ。
 むしろ、砂一時代以前の生活者はいわゆるリア充の人が多いので、仲間同士 (トライブ)でよく会つているし、お互いに影響しあうことも多いと思われる。
 なので、友人知人のオーガニックな言葉は、逆に効きやすいと言えるくらいである。

P.270

「伝える仕事」に携わるほとんどの人が、ずっと「露出を増やす発想=露出脳」の習慣が長かったので、なかなかそこから抜けられない。
 みんなの疲れのもとになっているのがここである。

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“クレモナの大聖堂はイタリアの知られざる宝のひとつだ。フイレンツエやローマやヴエネツイアにあるもつと有名な聖堂より小さく、派手さでは劣るものの、わたしの目から見ると、そうした大きな教会は本来の目的を失い、普通の人々との触れ合いもなくしてしまつたようにみえる” 『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』 (創元推理文庫) ポール・アダム 青木悦子訳 東京創元社

ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密 (創元推理文庫)

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Paganini's Ghost (English Edition)

Paganini's Ghost (English Edition)

原著“Paganini's Ghost” (English Edition) Paul Adam、Endeavour Pub.
P.41

 クレモナの大聖堂はイタリアの知られざる宝のひとつだ。フイレンツエやローマやヴエネツイアにあるもつと有名な聖堂より小さく、派手さでは劣るものの、わたしの目から見ると、そうした大きな教会は本来の目的を失い、普通の人々との触れ合いもなくしてしまつたようにみえる。それらの大きさや威容には、どこか圧倒してくるような、こちらを怖気づかせるところがあるのだ。いまも礼拝の場ではあるが、個人レベルでの霊的な導きにはならない。たぶん、これまでもなつたことはないだろう。サン・ピエトロ大聖堂もサン・マルコ大聖堂もサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会も、神の栄光をたたえるために建てられたが、わたしはときおり、それらを建てた人間たちの頭の中では、人間のほうの栄光をたたえるべきと思われていたのではないかと首をひねる。そうした聖堂は建築史上の驚異として、人の心を高揚させ、感銘を与えるが、個人が信仰をあらわす場としては、うつろなはりぼてになってしまった。せいぜいが観光の守護聖人のための寺院であり、休日の行楽客たちが訪れてはチェックマークをつける、スケジュール表の一地点にすぎない。
(中略)
 クレモナ大聖堂は堂々たる建物だが、サイズは簡潔さと自己犠牲のうえに築かれた宗教によりふさわしいものだ。観光客もそれなりに来るが、聖堂本来の目的から気をそらされることはない。ここはいまも、どんな人であっても、信仰のあるなしにかかわらずみずからの生活について思いをいたすようになる場所である。高いアーチ天井の内部には心をなだめる静寂があり、それが深く考えることをうながし、同時に、時宜に応じて祝典――生と死の、結婚と誕生の、そして今夜は音楽という、わたしがささやかながらこれまでの生涯をついやしてほかの人々と分かち合い、喜びあうようつとめてきた、すばらしい心躍る贈り物の况典の場を提供している。

P.111

当時の偉大なソプラノ歌手たちは莫大な出演料を要求し、その慣習は十九世紀のあいだずっと続いて、実際、こんにちでも強い力を持っている。ヴィクトリア時代後期のもっとも著名な声楽家アデリーナ・パッティがかつて、ワシントンのホワイトハウスでリサイタルをおこなう契約を結んだときの話は有名だ。ひと晩の興行に対する出演料がアメリカ大統領の年俸よいと指摘されたとき、彼女は辛辣な口調で答えた、「あの方は歌えますの?」

P.113

『モーゼ幻想曲』は一八一九年に書かれ、そのときパガニーニは三十代の後半であったが、彼の重要な特徴の多くはキャリアのはるか以前にあらわれている。G線だけで弾く曲を作ったのもこれがはじめてではなかつた。一本の弦だけで弾くことは長年にわたって彼の十八番(おはこ)ー競争相手たちから自分を際立たせる方法のひとつだったのだ。当時のヴァィオリンの弦は動物の腸でできており、切れることもたびたびで、コンサートのさなかにぶつんと切れてしまうこともあった。いちばん音の高い弦――E線――はほかの弦より強く張るため、とくに切れやすかつた。そんな状況に陥ると、たいていのソリストは演奏を中断して切れた弦を張り替えた。しかしパガニーニは残った三弦で演奏を続け、普通はE線で弾く音もA線でどんどん高く高く弾いた。A線が切れたら、D線で続けた。それも切れたらG線で。この特技が聴衆に強烈な印象を残したため、パガニーニはわざとすりきれた弦を張ってコンサートをおこなう、もしくは実際に弾いているときに弦を切れるよう、ナィフを隠し持っているという噂になった。それが事実だったのかどうかはわからないが、パガニーニは彼のキャリアにおけるいかなる舞台でも、こうした噂を打ち消すようなことはしなかつた。短期的にみれば、これはゆがんだ形だが、商売としては理にかなつていた-----そうした噂が、影のように彼につきまとつていた論争に拍車をかけ、聴衆は彼のコンサートに押し寄せたからだーしかし長期的には、ぺテン師という評判が立つことになってしまった。

【関連読書日誌】

  • (URL)人は、人生において重大なことが起こるときには、何らかの予兆があると思つている。これから起ころうとしていることに何らかの予感をおぼえ、それが襲ってきたときには準備ができていると思つている” 『ヴァイオリン職人の探求と推理』 (創元推理文庫) ポール・アダム 青木悦子訳 東京創元社

【読んだきっかけ】みすず2015年1,2月号
【一緒に手に取る本】

“茨木のり子を強い人といってさしつかえあるまいが、それは豪胆とか強靭といった類の強さではなくて、終わりのない寂寥の日々を潜り抜けて生き抜く、耐える勁(つよ)さである” 『清冽 - 詩人茨木のり子の肖像』  (中公文庫) 後藤正治 中央公論新社

清冽  - 詩人茨木のり子の肖像 (中公文庫)

清冽 - 詩人茨木のり子の肖像 (中公文庫)

初の本格評伝であるそうだ。1926年(昭和元年)生まれ、2006年79歳で亡くなった。詩集『倚(よ)りかからず』がベストセラーとなりその名が広く知られるようになたのは、1999年73歳の時である。
その昔、高校時代に読んだ大岡信『詩への架橋』(岩波新書)を懐かしく思いだしますた。
 以前から気になっていた詩人であるが、「清冽」というタイトルと、後藤正治という著者にひかれて、手に取った一書。いい本です。
帯から

彼女が“強い人”であったとは私は思わない。ただ、自身を律することにおいては強靭であった。その姿勢が詩作するというエネルギーの源でもあったろう。たとえ立ちすくむことはあったとしても、崩れることはなかった。そのことをもってもっとも彼女の〈品格〉を感じるのである。
(本文より)

梯久美子による解説

「倚りかからず」に生きた、詩人.茨木のり子。日常的な言葉を使いながら、烈しさを内包する詩はどのように生まれたのか。親族や詩の仲間など、茨木を身近に知る人物を訪ね、その足跡を辿る。幼い日の母との別れ、戦時中の青春時代、結婚生活と夫の死、ひとりで迎えた最期まで――七十九年の生涯を静かに描く。

茨木の詩からとった「清冽」というタイトル、著者が後藤正治ということで手に取った。
P.13 「このような詩句を紡いだ詩人の足跡をたどってみたい」と思う理由は、

 さらに、より大きな理由は、その作業がたとえ徒労に終わったとしても、彼女のもつ固有の清冽なる精神の一端に触れることはできるだろうという確かな予感であった。
 詩人への旅路――。はじめての、未知なる旅を開始したのは訃報に接してほぽ一年後、ニ〇〇七年春である。

神楽坂の鮨屋「大〆」、韓国料理屋「松の実」、旧知の編集者、NHKアナウンサー山根基世らとの三人会、四人会
P.62

本来、東北弁は言葉として形容豊かであり、暗喩やユーモアにおいて秀抜であり、フランス語に似た響きももつ。何ら蔑視されるいわれがないにもかかわらず嗤いものの対象となったのはなぜか。明治維新にさいして東北諸藩の多くが"賊軍"に属し「白河以北一山百文」といぅ言い方でくくられる地とされたこと、さらにさかのぼって、京から見れば北方の「夷狄」といぅ歴史的な観念から由来するのかも、と考察している。

P.75

茨木のり子を強い人といってさしつかえあるまいが、それは豪胆とか強靭といった類の強さではなくて、終わりのない寂寥の日々を潜り抜けて生き抜く、耐える勁(つよ)さである。その資質は、ひょっとして、蓑をまとって通学した母たち、雪国の人々の伝えるものであるのかもしれない。

P.100 Y.Yにとかかれた「汲む」という詩について。

Y.Yとは新劇の女優.山本安英のことである。人は若き日、そうとは知らずに大事な出会いを果たすものであるが、茨木にとって山本はそういう人だった。築地小劇場が創設されたのは一九二四(大正十三)年であるが、山本は研究生としてこれに参加、やがて主役に抜擢され、“新劇の聖女”とも呼ばれた。戦争前、“危険思想団体”ということで劇団は解散させられる。一転、戦争協力に転じた新劇人もいたが、山本はこれにはかかわらず、舞台から退いて逼塞した。終戦時は、結核の療養もあり、疎開先の信州で暮らしていた。

P.104

 山本の自伝的エッセイ『歩いてきた道』(中公文庫、一九九四年)を読んでみた。
 舞台姿の写真も載っている。ー見、はかなげ風の女優であるが、芯に強いものを宿した人であることがひしひしと伝わってくる。総じて筆致は抑制的であり、この女優の人柄も併せて伝わってくる。
 山本から得たものとして,茨木はさらにこう語っている。
〔山本さんは世の中に対しても新劇界に対してもたくさんの批判をもっておられたと思います。でもそれを生の形では発言されなかった。自身は女優であって、世に向かって発言するとすれば劇の演技のなかて凝縮させてやるんだという姿勢を貫かれた。そのことは自分が詩を書くようになって自分が苦しむようになって気づいていったことなんですが……

P.111

山本安英は「茨木のり子さんのこと」で、最後をこう締め括っている。
《茨木さんが何かを求めている、と言いましたが、俳優とはつねに“これから”を目指す存在だと、私は思っています。ある時、ある舞台で咲かせた花は、瞬間に消え去って、何ひとつ跡をとどめるものがない。いつも“これから”を求めていくより仕方がありません。茨木さんはよく、私を、生きる指針にしていると言われる。茨木さんらしい、やさしい、ひとつの励ましのことばだと思っていますが、ほんとうにそんなふうに思ってくださっていたら、それはこわいことです。もし私がまちがったとしたら、いちばん怒るのは彼女でしよう。こわさというよりも刺戟というか、そういう関係をつきつけてくれている。

P.133 「無意識下がきれいすぎる」という谷川俊太郎の評を受けて

無意識下ーとは、自身が自覚し対象化しえない深層の心理、積み重ねてきた人生の累積に潜むもの、あるいは受け継いでいる根深い形質……といったものであろぅ。人はだれも無意識下の水源をたたえ、そこから言葉が表出する。その泉が、茨木の場合、濁った泥沼ではなく、しんとして澄んだ湖のよぅなものが連想されるのは確かである。

P.165 「りゅうりぇんれんの物語」こんな人知りませんでした。

 劉連仁。中国・山東省の出身。戦時中、日本軍にょって強制連行され、北海道の明治鉱業昭和鉱業所の炭鉱労働者となる。終戦のひと月前に炭鉱を脱走。以降、日本の敗戦を知らず、十三年間、道内の山中で逃避行を続けた。穴ぐらに潜んでいるのを発見され、保護されたのは一九五八(昭和三十三)年である。グアム島での日本兵の発見とは別の意味で、戦争の傷痕の深さを知らしめるニュースだつた。

P.199 岩波ジュニア新書『詩のこころを読む』で扱った河上肇について

この学究の人を『貧乏物語』『自叙伝』で知る年配層は数多いだろぅが、詩人であったことを知る人は少なかろぅ。私も茨木の著ではじめて知った。

P.206 死後出版された『歳月』

『權』結成以来の仲間、詩人.谷川俊太郎は、茨木の全詩集のなかでも『歳月』をもっとも高く評価する。谷川は茨木のよき理解者であると同時に、その“行儀の良さ”への批判者であったことは以前に触れた。
「一篇ー篇がいいというより、トータルとしていい。一個の人間、一個の女性であることがにじみ出ている。へえ、茨木さんもこんな言葉を使うんだ、という驚きですね。これまで閉ざしていた無意識下の一部をパ―ソナルとして言葉化したという感じがした。でも茨木さんらしくまだまだ控え目で可愛い出し方ではありますけれどもね」

P.257

《この自由をなんとか使いこなしてゆきたいと思っている》
 こう記してから二十数年、茨木は「寂寥」を道づれにしつつ、決して崩れるこ生き抜いた。

梯久美子による解説より

 本書は茨木のり子という詩人の、人間としてのあたたかさや豊かさと同時に、表現者としてのきびしさと烈しさを伝えてくれる。後藤正治氏の筆が描き出す詩人の肖像にふれるうちに、読者は自分自身の人生を見つめ、問い直さざるを得なくなる。私はこのように深く考えたか。このように人を慈しんだか。誠実に時代に向き合い、果敢に自分の仕事をしたか、と。
茨木の詩句にある〈清冽の流れに根をひたす〉とは、単に安らぎを与えてもらうことで
はないだろう。哀しみを濯ってくれるものは、ときに身を切るようにつめたい水かもしれ
ない。平易で日常的なことばを用いつつ、彼女は決してなまぬるい詩を書かなかった。そ
れは本人の生き方でもあったことが、本書を読めばよくわかる。
(中略)
 それを知りたいと思ったたきっかけは、写真家の石内都氏が撮影した、広島で被爆した女性たちの遺品の写真だった。その中にはびっくりするほどお洒落なワンピースやブラウスが何枚もあった。花柄や水玉模様のカラフルなプリント、レースの縁取り、薔薇の花の形をした飾りボタン……。昭和二十年八月六日の朝に、彼女たちはなぜこんなにきれいな服を身につけていたのか。
 上衣やモンべの下にこっそり着ていたと知って、何ともいえない気持ちになった。明日の命も知れない中、内緒でお気に入りの服を身につけていた若い女の子たち。お洒落をしたいといぅ気持ちは、戦時中であっても同じなのだ。急に彼女たちが身近になり、あの時代と回路がつながったような気がした。
 そのとき、かつて戦争のイメージをモノクロームからカラーに変えてくれた「わたしが一番きれいだったとき」の詩がよみがえった。
(中略)
五十歳を過ぎてから学んだハングルも、韓国の現代詩の翻訳も、ひとすじに続く、彼女の精神の軌跡の一部であった。本書によってそのことを納得してはじめて、私はほんとうに茨木のり子という詩人に出会った気持ちになった。

【関連読書日誌】

  • (URL)“詩は今いるところであなたの心に作用する。知性に働きかけ、感情によりそい、あなたは独りではないとそっと伝えてくれる。” 『イェイツの詩と引用の原理』 詩のなぐさめ1 池澤夏樹 図書 2012年4月号 岩波書店
  • (URL)“人間はすべての過去を言葉の形で心の内に持ったまま今を生きる。記憶を保ってゆくのも想像力の働きではないか。過去の自分との会話ではないか” 『春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと』 池澤夏樹 写真: 鷲尾和彦 中央公論新社

【読んだきっかけ】
【一緒に手に取る本】

うたの心に生きた人々 (ちくま文庫)

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鎮魂歌―茨木のり子詩集

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倚りかからず (ちくま文庫)

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歳月

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ことばで「私」を育てる (講談社文庫)

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こころの声を「聴く力」

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遠いリング (岩波現代文庫―社会)

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甦る鼓動 (岩波現代文庫―社会)

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